バングルバングル Night &Morning

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今回のバングルバングルも1999年に撮影したフィルムと再度1994年のフィルムです。S5ではありません。予想外にバングルバングル反響が大きかったのでうちのストックフォトからお見せいたします。そしてもう1回先日お見せした初めて行ったバングルバングルを再度お見せいたします。

上二枚は雨季が明けたばかりの4月中旬。ちょうどバングルバングルが乾季になりゲートがオープンになってすぐの次期です。同じ場所で夜と昼です。まだ水があるので蚊がいます。昼間は岩が熱せられて暑いので、夜陽が沈んでからアシスタント君と機材を手分けして担ぎ移動します。大型のジッツオ390三脚とペンタックス645、67、ニコンF3Pとさらに水10リットルを持ち移動します。満月がでてくるとヘッドランプが無くても歩けるくらい充分明るいです。
昼は地獄の環境ですが夜はほんとうに現実ではない夢の世界です。うちのアシスタント君も「ここ本当に地球ですよね。この世ではないみたい」と盛んに歩きながら言っていました

1995年に行ったときに不思議なことがありました。2度目のバングルバングルでした。もう10月初旬、そろそろ雨季が近づきつつある時季の満月の晩。一番上の画面右奥の更に500メートルぐらい先で深夜撮影をして12時ぐらいに撮影終了して、うちのアシスタントの女の子と、岩の上で寝袋で眠りにつきました(ちゃんと別々に離れて寝ています。いびきがうるさいもので)寝ていると「おい!!」と誰かに呼ばれて目が覚めました。人間の声でした。男性なのか女性なのかわからない声でした。アシスタントの子も「いま誰かおい!と呼んだ」と言って寝袋から出てきました。時計を見ると深夜2時半。こんな世界の果てみたいな荒野で誰がほかにいるのだろうと思いました。でも怖いとか不気味と言う感じではなく、どちらかと言えば親しみのある声でした。2人でしばしボーっと岩の上に座っていました。よく見ると満月は寝る前より更に輝きを増し青白い太陽のようでした。なんか月に写真を撮るようにおこされたみたいでした。翌日もバングルバングルのゴージ(渓谷)で撮影したのですが、同じようなことが続けてありました。それでも恐ろしいと言う感じは無かったです。

撮影が終わり翌朝、車に戻りましたが、他の車はありませんでした。レインジャーのオフィスにも無事帰ってきた届出に行きました。同じときに他のオーバーナイトトレッキングの人がいたか聞きましたが、届出もないし駐車場を見回りに行ったとき他の車は無かったとレインジャーも言っていました。未だに不思議な体験ですがおかげで素晴らしい夜の撮影が出来ました。やはり月とバングルバングルの大地の精霊が起こしてくれたのだと今でも思っています。大変な環境はその分素晴らしい体験と作品を与えてくれます。ホテルに泊まり撮影しては大自然の神様はなかなかプレゼントをくれません。だからいつでもアウトバックでは基本はキャンプです。

バングルバングルはそんなわけでオーストラリアで僕の一番のお気に入りのポイントです。でももう一つここが大好きで思い出深い場所になった訳があります。初めていった1994年僕はプロダクションのハウスカメラマンでした。オーストラリアの写真は仕事上では誰にも見向きもされませんでした。よく「砂漠撮る暇があったら物撮り光物のライティングの練習でもしろ」とか「こんな岩とか砂漠の写真とって誰が買うの?」「作品撮りするならNYとかロンドンにしなさい」と言われだいぶへこんでいました。写真展の審査もだいぶ落ちやっと1995年の1月に渋谷のドイフォトサロン(今は残念ながらもう無いです)での個展の審査にかろうじてパスしました。

いろいろ家とお金の事情もありこの撮影で良い作品、大ホームランが撮れなければ次のドイでの写真展を最後にオーストラリア撮影から撤退して方向性を見直そうと考えていました。そのためにはどうしてもダメ押しの1枚が欲しかったです。そんなときに出発3週間前9月頭に会社より「夏休みと連休と土日をくっつけて10日間の休みはまかりならん。7日か8日にしなさいと言う厳しい命令が来ました」仕方が無いので日本から7泊8日(もちろん機内泊も入れて)超強行軍でバングルバングルに行きました。ダーウィン~バングルバングルまで片道1800キロを1日半で移動。その間ほかは何も撮影どころかシャッターも押さずに全ての時間とフイルムをバングルバングルに注ぎ込みかけました。行く前に何度も神社に神頼みに行きました。もう背水の陣です。大ばくちです。たった1枚でいいので渾身の1枚。誰も見たこと無い地球のポートレートがたった1枚でいいので欲しかったです。まさに「肉も切らして、骨を切る」どころではなく「肉を切らして、骨も切らして、その代わり相手の心臓一突きのトドメの1発が欲しかった」そんな感じです。いい写真が撮れるなら悪魔に魂売ってもいいとさえ思いました。


バングルバングル滞在は4泊。そして3枚目の写真はその最後の夜に撮れました。まさに自分でも執念に1枚です。翌日ギリギリまで撮影し帰り道4WD燃料切れ寸前でパニック遭難の1歩手前まで行きました。今考えると冷や汗では足りないくらいです。そして帰国後現像所で、上の3枚目の写真を見たとき嬉しくて涙が出てきました。次の写真展での手ごたえを感じました。おかげさまで1995年の写真展タイトルは「Light from The Down Under 2」では大好評でした。白い砂漠の写真がメインでしたがバングルバングルの夜もご来場の皆様の度肝を抜きました。この写真展で僕の写真のファンになっていただきいまでも常連さんとして写真展にお越しになっていただける方が大勢いらっしゃいます。そしてこのときの写真がオーストラリア大使館、カンタス航空さん、ペンタックスさんの目に留まり現在の活動の基礎となりました。そんなこともあるのでバングルバングルは僕に大きなチャンスをくれた人生のターニングポイントの一つでもあったわけです。だから僕はいまでもバングルバングルに行くといつも心の中で「ありがとう」とお礼を言います。またいつかバングルバングルに帰りたいです。そして月を見ながら岩と大気と一緒になり寝てみたいです。

撮影 上から PENTAX645 35mm PENTAX67 45mm NikonF2 20mm

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相原正明オフィシャルHP

http://www.aihara-australia.ecnet.jp/
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by masabike | 2007-04-01 18:04 | アウトバック | Comments(0)
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