
今回 ミュゼふくおかカメラ館の写真展に長~~い友達 砂漠の戦友 平野さん(写真 右)が宝塚から駆けつけてくれました
彼とは37年前 1988年の出会いです

ガンバレル入り口にて

数日後 ガンバレル終点
撮影平野和司氏
1988年 8年弱のサラリーマン生活に終止符を打ち、パリダカのドキュメンタリーが撮りたくて、その練習で砂漠を体験するためにオーストラリアに向かいました。その旅の最大難所はギブソンデザートを抜けるアドベンチャールート ガンバレルハイウエイを走破すること。約1600kmの無人の荒野を貫く道。エアーズロック(今はウルル)から西オーストラリアの町までのルート。途中ガソリンスタンドは2ヶ所のみ。特に中間点のウォーバートンミッションから西オーストラリア側は約800km水とガソリンがない超ハードというか悪魔のようなルート
一人で抜けるのは怖いのと、レインジャーの許可が出ない。そんなときエアーズロックリゾートのキャンプ場で知り合ったのが平野さん。歳もほぼ同じ 、しかもバイクも同じ600cc。僕はホンダで彼はヤマハのテネレ600.しかも彼もガンバレルハイウエイを越えるための相棒を探していた。お互いに大喜びだった。神の恵みと思った。
そして彼とはエアーズロック~ガンバレルハイウエイ~エスペランス~アルバニー~パース~ピナクルス~モンキーマイヤと約2週間旅をして、モンキーマイヤで別れた。その時 僕は北に向かい、彼は南に向かった。そして2週後 再び オーストラリア大陸ど真ん中 アリススプリングスのキャンプ場で再会。しばらくアリスで一緒にいた。1988年当時 彼は建築家であったが設計事務所をやめてきた、僕は広告代理店をやめてきた。お互いにプー太郎。僕は当時 写真家を目指していた。だがこの時、平野さんは キヤノンEOSに20mmワイドをつけていた。オーストラリアを撮るにはこれぐらいワイドがないとと言っていて、彼の写真に対する熱意に驚かされた
そして日本に帰り再会。彼はその後、建築写真家となって独立。ときどき 東京と関西であって飲んでいる。お互いに「東京と関西 500kmしか離れていないし」と言い合っている。オーストラリアの感覚がお互いの間に生きている
今回も高岡に一緒に泊まり、ファミレスで朝ごはん、福岡町でカレーうどんを食べて、たくさん写真の話 オーストラリアの話をした。
オーストラリアでのバイク旅 特に砂漠の横断で大変な時でも、彼はいつもにこにこして「大丈夫ですよ」と言ってくれた。そしてキャンプでは美味しいこふきいもを作ってくれたのが今でも心に焼き付いている。砂漠を無事に横断できたのは彼の存在がとても大きい
37年の長い友達 そして最高の友達 ありがとう これからもよろしくお願いします
写真家 平野さんの建築写真を中心としたサイトです。ぜひご覧ください。僕がいちばん大好きな建築写真家です
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