キラーフォト 日本国際観光映像祭 ワークショップより


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PENTAX 67+SMC105mm+FUJIFILM Velvia

南オーストラリア州 シンプソンデザート 撮影協力 南オーストラリア州政府観光局 カンタス航空


スチールの写真の世界、特に広告写真の世界でしばしば耳にする言葉で「キラーフォト」という単語がある。人を殺める写真? 残酷な写真? そうではない1枚の写真で見た人を虜にして、その広告を印象付ける写真。

他の写真に対して圧倒的にさ別化できる写真という意味ととってほしい。


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 言葉をはじめて聞いたのは、忘れもしない19998月末の週末 くそ熱い夏の昼下がりだった。場所は富士フイルム本社会議室。21世紀のマーケットを見据えた世界最高画質の新製品フィルムの会議の場だった。「一度見たら忘れない、世界ナンバーワンシェアが取れる作品が欲しい」 当時 富士フイルムは「王国」と呼ばれるKodakの常に後塵を拝していた。そこで21世紀を見据えて、マーケットを逆転するために世界最高画質フィルムProvia100Fを開発中だった。その開発&全世界プロモーション写真家に、僕は突然抜擢された。撮影期間は、会議の日を含めて20日間。しかも僕はそれまで富士フイルムさんのお仕事は、一度もしたことはまるでない。さらに撮影するのはプロトタイプと呼ばれる手造りフィルム。フィルム1本で車が買えるぐらいの金額。それを使い、だれもが一度 作品を見たら富士フイルムの新製品の名前が浮かび、シェアトップが狙えるキラーフォトが欲しいとオーダーされた。その時がキラーフォトという言葉を最初に聞いた時だった。




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FUJIFILM X-T1+FUJINON XF18-55mm






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FUJIFILM X100




 学生時代 大学でフォトジャーナリズムを学んだ。その中で毎週45時間 文章を書く時間があった。写真のキャプションだ。写真が1 文章が1、1+1=2ではなく、いかに3もしくは5に表現し読者に訴えるか。そのための文章を書く。授業で、もっとも大切なことは「最初の1行 そこに全力を注ぎ込め」だった。実はこれは動画や写真展にも当てはまる。特に観光映像や映画。多くのライバル作品の中からいかに印象付けるかだ。最初の1分いや10秒が命運を分ける。観光業だと、観光コンベンション的なイベントで映像を見せられる。下手をすると200 300のブースが設営され、来場者はそれを見て歩く。あるいはオンラインでネットサーフィン。その時、いかに最初の数秒で虜にするか、見終わりいかに他と比較し印象に残るかが大切だ。古今東西 名画と言われる映画もおなじだ。奇才スタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅 」ジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」も最初の数秒で観客に印象づけている。いかに見るものを虜にするかそれが、告知媒体として最も大切だ。どんなに素晴らしい映像も、素晴らしい情報も観客の記憶に残らなければ、マスターベーションなってしまう。




 さらに言うならば、優れた映像作品は、キラーフォトの連鎖だと僕は感じている(上映時間の全てがキラーフォトではないが、随所に記憶に残るシーンがある) 昔の映画監督は「いい写真が撮りたい」としばしば言ったように時間の流れの動画・映画を見せるために瞬間の写真の連鎖であることを考えていたと思う。前出したキューブリックやヴィム・ベンダースは優れた写真家でもあった。キューブリックは広角レンズを多用し、1点技法の名手でもあり、ベンダースも陰影と色のマジシャンのような絵造りだと、いつも映画を見ると感じる。その完成された写真が連鎖したのが彼らの映画だった。だからひたすらキラーフォトを見せられた観客は、印象に残り、リピーターとして何度も映画館に通う。映画は写真を学び、活用する場合d目お素晴らしい先生となる。自分自身の写真展でも、彼らの技法を取り入れたことがある。



 2020年 コロナ禍が世界を覆ったとき。自分の撮影フィールドであるオーストラリアの荒野に行けなくなった。多くの人から撮影できないから、相原さんは作品作れないでしょ?と言われた。だが答えは逆。オーストラリアに行けないのならば、家の中に4畳半の宇宙を見つけて、そこで作品を撮ろう。そう考え、毎日家でセットを組み、野菜の物撮り(ポートレート)をモノクロで撮影していた。コンセプトは、物のフォルム。キーワードはKatachi

半年ぐらいして作品が貯まってきた。コロナ禍前にオーストラリアで、樹や岩をやはり”Katachi”というキーワードで撮り貯めたモノクロ作品群があった。そして20211月、2回目の非常事態宣言中に個展を開催することになった。個展の開催目的は2つ。1つは海外にロケに行けなくても、閉ざされた部屋の中でも自分の宇宙を見つければ作品は生まれる。。それによりコロナ禍で埋没しないように己の存在感を主張する。もう1つは、コロナ禍 皆が元気を失っているとき、何か前を向くことを行い、見る人を元気にしたかった。





ただ1つ写真展で最大の難問があった。家の中で撮影した野菜の写真と、オーストラリアの荒野で撮影した作品とを、いかに視点の流れ 印象をシームレスで見せるかだ。光も被写体の大きさも、撮るメンタルもまるで逆の2つの作品群。これをつなぐ方法として思い浮かんだのが、キューブリックの「2001年宇宙の旅」の有名なワンシーン。類人猿が、仲間同士の戦いで、初めて骨を武器として戦う。人類が道具というものをはじめて使った瞬間のシークエンス。そして戦いに勝った人類の祖先は骨を宙高く放り投げる。そして骨が落ちてくる瞬間、2001年の宇宙船に早変わりする。骨と宇宙船、共通するシルエットを連鎖で見せることで、時空を大きく飛び越えながらも観客には不自然さを与えない。この技法を写真展に導入した。室内で撮影した野菜の写真が数枚つづく。ジャガイモの陰影のある作品が3枚つづく、4枚目にオーストアリアの荒野の丸い奇岩の写真をレイアウトした。誰もが普通に通り過ぎながら見ていく。12枚すすんだところで慌ててお客様は、ジャガイモから奇岩に変わるシークエンスに戻り改め考えながら見る。こんなシーンが毎日写真展で繰り返された。そしてこのシークエンスがキラーフォトとして観客の心に残ることに成功した。



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 キラーフォトのありかたとして、もう1つ別の方法にもトライした。和の視点と感覚を前面に押し出して、西洋のアーティストがマネできないシーンを創り出すことに成功したことがある。場所は同じく富士フィルムも参加する世界イベント。それは世界最大の最高の映像コンベンションだったドイツ・ケルンで開催されたフォトキナだった。富士フイルムから、500以上ある参加ブースの中で、必ず富士フイルムの製品とイメージが、メディアや来場者の印象に残る写真と展示が欲しいと言われた。そこで提案したのが、パノラマ写真を縦使いにして、掛け軸風作品群50枚で会場を埋め尽くす。「間」と言いう「和」独特の空間認識 空間美を使った作品は、外国人 特にフォトキナの中心を占めるヨーロッパのアーティストにはまねがが出来ない。なぜならば西洋のアートは押しなべてプラスの技法。いかにキャンバスを素材と色で埋め尽くしていくか。それに引き換え 和の世界はマイナスの技法。極限まで素材を削除していき、「間」という不思議な空間で仕上げていく。この「間」が彼ら彼女らには出来ない。ピカソやゴッホと長谷川等伯あるいは蕪村の作品を比較していただければ、一目瞭然だ。 





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この掛け軸風の作品群と間をとった画風がキラーフォトとしてフォトキナ会場で作用し、アッと言わせる存在感を示すことができた。そして、作品コンセプト説明の特別のプレスカンファレンスまで開催することとなった。



現代人は、映像とメディアによって生み出された感性の海流の中で生きている。その海流の中で、多くの人が心の糧となる獲物を見つけることにセンサーを張っている。キラーフォトは、そんな映像の海流の中を漂う人たちに、美味しそうだよと印象付けさせ、獲物をしとめるための、極上の餌でありトラップとなるものだと思う。今回の映像祭でも、ぼくは最初の1分にウエイトをおいて審査した。いかに引き込むか、いかにあまたの作品の中で印象に残せるか。それが無ければ映像と写真の激流の中で消えていく存在になってしまう。どんなにコンセプトが優れていても、どんなに企画が優れていても。瞬間のキラーフォトをどれだけ積み重ねることができるか。積み重ね続けられた者だけが、良い作品となり心に残ると僕は考える。


追伸

富士フイルムさんから依頼されたキラーフォトは20日間で撮れたか?という疑問が残る。答えは撮れた。奇跡のような1枚が。オーダーを受けた翌々日、僕はオーストラリアの中央部のアウトバックと呼ばれる荒野に向かった。シンプソンデザートという広大な砂漠がロケ地。オーダーされた、誰も見たことない地球の風景という以外に、毎日必ず朝10時から12時の間に、どんな普通の風景でも良いので撮影することが義務づけられている。理由はその時間帯が、色温度が最も被写体の色を忠実に再現する、標準光という時間だからだ。


ロケも中盤にさしかかったころ、砂漠の中に立つ、3本の立ち枯れの樹を狙っていた。撮影は夜明けからスタートして、標準光の時間になった。抜けるような青空をバックに樹が立ち並ぶ。だがもう1つポイントが欲しい。絵が寂しい。赤いイコンでも飛んでこないかな?と思った。オーストラリアの荒野には赤色のインコが群れを成して生息している。それが飛んできてくれたらうれしいな…。奇跡でも起きないかなと思った。しばらくすると、青空の中を何か赤い点が移動している。なんと赤い色のインコが、こちらに向かってくる。しかも樹と樹の間を抜けるように。無我夢中でシャッターを切った。手ごたえはあった。だがデジタルではないので、フィルムはその場では確認できない。撮影終了後 フィルムに重要フィルムであるための★印のマーキングをした。帰国後 現像すると、ものの見事に青い空をバックに赤いインコが写っていた。しかも高精細フィルムの特徴を生かしてち密に再現されていた。クライアントも奇跡だ!と大喜び。これでシェアが逆転できるとほめてくれた。



そしてその写真はFUJIFILM Provia100Fの全世界ポスターになった。さらにこの写真には後日談がある。撮影から半年後、僕はアメリカ・シアトルに住宅の長期ロケに行った。長期のロケの途中では撮影の失敗やトラブルを防ぐために、撮影したフィルムの中からランダムにフィルムを抜き取り、抜き取りテスト現像をする。僕はシアトルのフィルム現像所に向かった。受付には巨体のアフロアメリカンの男性スタッフ。現像を頼むと、高飛車な上から目線で「ボーイはプロなのか? どんな仕事をしてるんだ。プロ登録のIDがないと現像料金が高くなる」と言われた。僕はプロ登録のIDを持っていなかった。説明しても彼は納得してくれない。その時ふと現像所の壁を見ると、僕が撮影したProvia100Fのポスターが貼ってあった。しかもクレジットが入っている。受付の彼に「あのポスター 俺の作品だと言い、クレジットを見て!と言った。彼はクレジットと、僕のパスポートを交互に見て、「しばらくお待ちください」と妙に丁寧になった。しばらくすると彼が、現像所のマネージャーを連れて戻ってきた。そして「こちらのジェントルマンがあのポスターを撮られたそうで、今回 うちで現像をお願いしたいとのご依頼です。とても光栄だとおもいます」というとマネージャーさんは名刺と握手を差し出してくれた。そして「お会いできて光栄です。また、うちで現像をオーダーしてくれてありがとうございます」と嬉しそうだった。数分前 ボーイだったのがジェントルマンか。笑いそうになった。まさにキラーフォトが僕の仕事環境も変えてくれた。そして富士フイルムはProvia100Fの大ヒットにより世界シェアでコダックを逆転した。




本稿は日本国際観光映像祭 ブログとワークショップからの原稿でした



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by masabike | 2025-03-26 07:31 | ワークショップ | Comments(0)
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