鎮魂

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FUJIFILM X-T4+Carl Zeiss Touit50M


昨日 3月10日は東京大空襲の日。そして3月11日は東日本大震災の日

つらい記憶の日が2日つづく

子供のころ母から東京大空襲の日のことを聴いた。空襲警報が出て防空壕に避難した。そして深夜、B29のエンジン音がするので、防空後の隙間から夜空を見ると、夜空一面のB29の編隊。真っ暗い闇に輝く銀色の機体が、敵ながら綺麗だと母は思った。そして多分、この戦争は負けるのだろうと感じたと言っていた。夜が明けて防空壕から出ると、異常な臭気が漂い空は煙だらけ。我が家は昭和の頭から板橋住まい。当時はかなり田舎。そこまで都心方向から臭いと煙がやってきた。その独特な異臭は人が焼ける臭いだとあとから分かったと母は言っていた

母の親戚が、浅草橋 深川に住んでいた。祖父がそちらに様子を見に行った。深川 方面は地獄のような光景だったと祖父は母に話した。決して下町方面に見に行かないように祖父は母に命じたと言う。ほどなくして母の親戚は全員無事であったが、家屋全焼で焼け出されたので、我が家に疎開しに来た。それからしばらくは防空壕で大所帯の共同生活となったという。3月10日 以降 空襲は激しくなり、我が家も近くに陸軍の工場があったため、B29の焼夷弾が降るようになり、昼間か艦載機が機銃掃射しに来るようになったという。祖父は避難している防空壕から、毎夜やってくるB29の編隊を眺めながら、どぶろくをあおり「軍人のバカヤロー」と言いくだを巻いていたそうだ。そして5月15日 深夜 我が家も焼夷弾で全焼して、本当の防空壕生活となったと母から聞かされた

わが家の戦後が終わったのは1980年ぐらい。理由はそれまで戦争中の防空壕が庭にあった。

いま庭では梅が咲いて良い香りを、道行く人にプレゼントしてくれる。人が焼ける臭いではなく、今は花の香りをめでることができる時代
平凡な朝が今日も来た。平凡な日常に感謝する日 3月10日3月11日





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by masabike | 2025-03-11 07:13 | マイガーデン | Comments(0)
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