今年も真夏のスポーツの祭典を青山で体験した。一般には真夏のスポーツというと甲子園だが、僕にとっては鈴鹿8時間耐久オートバイレース。実は生まれて初めて体験したモータースポーツは鈴鹿の八耐第2回大会 1979年大会。実はもともと熱心に見に行く予定ではなかった
八耐の前に、北海道に小学生時代からの友人でもあり写真仲間でもありバイク仲間であった、友人Tと北海道にツーリングに行った。その時に積丹半島のユースホステルで知り合った名古屋(正確には桑名と員弁郡)から来た女子2人と知り合いになり、友人Tがその片割れに、夢中になる。すると桑名から来た女子に「名古屋方面来たら連絡頂戴ね」と言われると「今度鈴鹿にバイクレースを見に行くかもしれないから連絡するよ」と言い、それが鈴鹿8耐に行くきっかけとなった。桑名駅で女子と待ち合わせ鈴鹿八耐へ。当時はまだ人気もそこそこ。スタート1時間前でグランドスタンドに余裕で座れた
でもル・マン式スタートで一斉に走り出したマシンが、一丸となって130Rから最終コーナーを飛び出してストレートにあらわれたときの音とスピードに度肝を抜かれた。Tもおなじだった。帰りの大垣発東京行きの夜行列車でTは「俺レーサーになってモータースポーツをする」と言い出し始末(その後彼は鈴鹿4時間耐久オートバイレースに参加もし、モータースポーツ&バイク誌のカメラマンになる)
そんあわけで八耐は心に刻まれる思い出となった
今回は運よく 八耐決勝の日に表参道で写真展。青山のホンダ本社でのパブリックビューイングにお邪魔した。全部は参加できないので、スタートとゴールのみ見学。パブリックビューイングなので、オーストラリア初個展の時に、ホンダオーストラリアの友人からいただいた、本物のホンダオーストラリアレーシングチームのシャツを着て見学。気持ち的に盛り上がります。ホンダ本社には巨大スクリーンとともに80年代の名車CB-1や歴代の八耐マシンが展示されていて気分は絶好調です。
スタートのカウントダウンを会場で参加者全員で一緒に叫んだあと、泣く泣く自分の写真展の会場へ(写真展とバイクとどちらが大事なんだよ!と、言われそうです)
写真展が終了した19時。富士フイルムワンダーフォトショップから奥様とタクシー飛ばして、ホンダ青山本社へ。到着したのはゴール8分前
1930 奥様と会場の全員とでゴールのカウントダウン。ホンダ優勝おめでとうでした。奥様も夢中。実は以前にも書いたが、家内の父は建築家で、林魏(はやしたかし)と言い、若い時に本田宗一郎さんに、見込まれて鈴鹿サーキットを設計。その後、大型のスポーツ施設の設計に携わるようになる。代表的建築は 旧広島球場 長野オリンピック白馬ジャンプ台などなど。だから鈴鹿のレースは感慨深い。
レース後 青山ツインビルの地下にあるライオンで二人で祝勝会。2回のギャラリートークのあとと自分が乗っているCBRの優勝だったのでビールの美味しいこと。家内と、魏(たかし)さんも、まさか鈴鹿で夜にレースが行われ、こんなにモータースポーツにお客様が来るなんて(最高時は1980年の30万人と言われています)信じられないだろうねと話し、八耐の熱い夜は終わりました
因みにヨーロッパで工業デザイナーをしていた知人で、彼は多くのモータースポーツに携わっていて、その彼が「ヨーロッパのモータースポーツシーンに一番空気感が近いのが八耐」と言っていました
来年 2025年八耐は家内と生で鈴鹿で見てみたいと思います。
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