写真は写真家 平野和司氏とその作品。今回の個展で僕が一番驚き且つ、好きだった作品です。何と被写体は京都市京セラ美術館の内部。あそこがこうなるのかと、本当に驚きでした。平野氏の作品は建築物の一部あるいは全体を光と陰で抽象化して、彼独特の世界観で表現しています
今回の京都旅行の最大の目的は、京都で開催されていた彼の個展を拝見することでした
多くの被写体は関西の建築です。その作品となった建築物に何回か案内してもらったことがあるのですが、ここが作品になるのかと驚きです。関西在住の方なら被写体の種明かしをされると、普段日常で何気なく通り過ぎるところで驚くと思います。以前タスマニアで個展をしたとき、写真展をキュレーションしていただいたArt of VictoriaのキュレーターPatricia Sabineさん(彼女はメルボルン王立美術館のメインキュレーター)から「1000人の写真家のうち999人が通り過ぎてしまう被写体を、通り過ぎないで撮影し作品にする1人が大切で、そうゆう写真家を私は見つける」と言われたことがあります。まさに彼はその1/1000の写真家だと思います
今回は関西在住のもう一人の写真家 HarQ(ヤマグチハルク)氏も来られていました。HarQ氏も同様にコンセプチュアルな女性のポートレートを撮ります。ジャン・ル・シーフのような独特の世界観です。お二人ともしっかりした撮影コンセプトと哲学を持っています。そう内面の哲学とコンセプトを光と陰で、時間を凝縮し表現しアウトプットするのが写真だと思います。巨匠 三木淳氏も「哲学が無ければ写真ではない」と言っています。
アマチュアで趣味で写真を撮るならば、楽しければそれでよいと思いますが、写真家あるいはフォトグラファーと名乗るのであれば話は異なります。しかもプロですと付け加えるならば。奇麗な物を奇麗に撮るだけでは駄目である。そのきれいなものの向こう側、あるいは裏側に潜むものをを表現しないと写真家とは名のれない。コンセプトが無ければただシャッターを押しているだけのシャッターマン。その見えない向こう側を表現するために、扉を開けるカギがコンセプトであり哲学であると考える。
海外でプレゼンテーションをすると必ず、最初の質問は「撮影コンセプト」そしてプレゼンで相手が探ってくるのは写真家の哲学や思想。
綺麗なだけの写真 珍しいものを撮っただけの写真では世界には通用しない。
因みに以前平野氏のパリの写真を見て、僕はパリに行こうと決心しました。それぐらい彼の作品はインパクトがあります。またいつかHIRANO WORLDを拝見したいです
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