FUJIFILM X-T4+SIGMA DC DN30mmF1.4
井の頭公園
今朝は2時間近く 井の頭公園で過ごした。ウォーキングして朝ご飯たべて・・そのあと健康診断
朝の井の頭公園 ジョギングする人 ワンチャンの散歩する人 水鳥の写真を撮る人などなどたくさんの人がいる。朝からデートのカップルもいた。その中で孤高の存在のような絵を描いている方がいた。ほぼ2時間近く一心不乱にキャンバスに向き合い筆を躍らせていた。半径5メートル以内に近づけないオーラを出されていた。
遠くから、画伯の場所を通り過ぎるたびにキャンバスをのぞき見する。絵はまだ3割弱しか描けていない。池の水面と林を描いていた。でも3割しかかけていない下絵的な絵であるのにかかわらず存在感が強いので驚いた。そして立体感と緻密さ。見た瞬間 写真ではかなわないと感じた
多くの名画を見ると写真では到底かなわないと感じる。それはなぜだろう?自問自答して考えたことがある。
自分なりの答えは2つ見つかった。1つは、1枚の作品につぎ込むエネルギー量。絵画は下書きから完成まで、短くても数時間、長ければ何週間 何ヶ月もかかる。その間1つの作品に注ぎ込まれる作者の情熱のエネルギー量が写真とは比べ物にならないと感じる。ただエネルギーを思う存分注ぎ込むためには、被写体をじっくり観察し、向き合い 内観し、おのれの脳内で自分のものとして原子レベルに近いぐらい分解しな変えればならない。シャッター押せばとりあえず撮れる写真とは大きな違いだ。
第2は産直。絵画は脳内で思ったこと感じたことが、ダイレクトに手から筆を通してキャンバス、あるいは紙に注ぎ込まれる。だが写真はレンズを通し、カメラのセンサーあるいはフィルムに定着させ、そして最後はプリントにしなかればならない。この間で体がダイレクトに作品自体にエネルギーを注ぎ込むことはない。絵画は脳内エネルギーが産地直送で表現出来る。写真は問屋さんを2~3通さなければならない
屁理屈かもしれないがそう感じた
自分の世界観を突き詰めると最後は絵画かなと。画像処理やフィルターでは所詮 間の問屋が増えるだけ。脳内の、心の中の感情をダイレクトにぶつけられる絵画にはまだ写真はかなわない
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