表現と内現 藤原新也写真展 祈り 世田谷美術館

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昨日 世田谷美術館に行き藤原新也さんの写真展を拝見してきた。そしてたくさん勉強させていただいた。藤原さんの写真展は、個々のタイトルごとの写真展は拝見してきたが、今回のように全仕事で圧巻の質量で拝見するのは初めてだった。感想は一言 「疲れた」これはネガティブなイメージではなく、作品と文章から来る圧倒的オーラで打ちひしがれた、とても素晴らしい疲れ。まえもブログで書いたように疲れない写真展や展覧会は駄目であると思う

過去に門司港駅で見た藤原産の個展極楽蝶のバリも打ちひしがれたが、今回はそれ以上。
そして藤原さんの作品のすばらしさはその文章 上にその一部を写真で出したが、一番好きな 彼の文章は「人間肉でしょ気持ちいっぱいあるでしょ」 これはイスタンブールの娼婦の方の写真に添えられていたキャプション

彼の作品を拝見すると、まさに名取要之助さんの「写真の読み方」の通り。いかに文章で写真との相乗効果を狙うかがよくわかる。そしてその相乗効果は「匂い」となって彼の作品の場合現れると感じる。イスタンブールの匂い インドの匂い 香港の匂いである。その匂いが光とともにやってくるのが彼の作品のすごさであると感じる。以前 藤原新也さんのアシスタントをやっていた友人の写真家から聞いたのだが「藤原さんの場合は光を狙うのではなく、彼がいるいるところ、カメラを向けるところに光と被写体がやってくる」そうだ。まさに光を呼ぶ男 すごいです


でも一番 毎回写真展を拝見して感じるのは藤原さんの表現。つまり表に現すこと。内観した内なるものを表に表すこと。内側に現すものが存在しなければ表現はできない。内側に内現した物がなければ、表現できない。単にきれいなもの 珍しいものを撮っただけでは表現ができない。「わたくしの心」がなければだめだと思う

そして写真展の最後に耳の痛い言葉が「日本巡礼 本当の美しさはなんでもない日常にひそんでいる」 おこがましいが以前何度となく、僕も同じようなことを書いた。何気ない日常の景色や、田舎の農道とか撮るのが本当のランドスケープだと。やはり 単に被写体頼みの絶景やすごい朝日や夕日では、内現ではない。内なる私の心で見た景色ではない。被写体頼みの写真 絶景とか狙っているうちはまだ、シャッターマンかもしれない。「本当の美しさはなんでもない日常にひそんでいる」 心に突き刺さる彼の言葉だ
















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世田谷美術館は隣がゴミ焼却場。 美術館の庭の木と焼却場をワンフレームで撮ってみた。存在しまだ伸びる生命と生命を燃やし終わらせるところ。藤原新也だったらどう撮るのだろう。内現を表現できるように目に心を素直にしたい



相原正明撮りおろしのkoji note From OITA 相原正明 フォトエッセイ  ぜひお楽しみください








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by masabike | 2023-01-21 07:50 | 写真アート | Comments(0)
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