

LUMIX S5+SIGMA 105mmF2.5 Macro
我が家の庭に本格的な春がやってきた。
ちいさな庭だが梅の木とカイドウの木がある。子供のころからその花が咲くのを見るのが好きだった
そして花の香りが家の中にも、春の訪れを知らせにやってくる
11年前のあの日もそうだった。
実は3月11日 本当は松島で半月を撮影する予定だった。でもその1週間ぐらい前から耳鳴りがひどく、熟睡ができない、眠れないことが続いた。人生で初めて睡眠導入剤を飲んだ。10日の夜も耳鳴りはひどかった。家内と話して、明日の撮影は次の半月まで延期しようかなと話していた。だが11日の朝 突然 耳鳴りが収まりへんにすっきりした。だがどうも撮影に行く気持ちになれない。丁度家内が仕事で西洋美術館でのレンブラントの内覧会に行くから一緒に行かない?と誘われたので、撮影をやめてレンブラントの内覧会に行くことにした
14時過ぎ、家で出かける支度をしていると、突然の揺れ。経験したことのない揺れ方。家から見える首都高速の街路灯がへし折れるぐらい歪み揺れていた。家の向かいの安い木賃アパートが、台形に歪むのがわかった。庭に出て様子を見る。ラッキーさんは軒下で固まり「ミ~」と泣き続けている
揺れが収まりしばらくして、外を見ると信号が止まり、渋滞が始まってきた。バイクに乗れる用意をして家内からの連絡を待つ。夕方 会社から帰宅できる者は帰宅しろとの命令だったので、大急ぎでバイクで山手通りを超法規的ライディングで新宿に向かう。この時はまだ、さほど渋滞していなかった。新宿で家内をのせ、家に山手通り外回りで向かうが、大渋滞になり、超超法規的ライディングで家に向かう。山手通りを避けて裏道で東上線の線路を渡ろうと思うと白バイが通行止めをしていた。なのでバイクを歩して歩いて渡った。帰宅してすぎにバイクも四輪もスタンドに行きガスを満タンにした
余震を警戒して、それから1ヶ月ぐらいは服を着たまま、首からヘッドランプを下げて寝た。とっさの時には、枕元の懐中電灯がつかめない場合もある。なのでアウトバックでキャンプするのと同じでヘッドランプを装着したまま寝て、緊急時に備える。服を着たまま寝るのも、母から「戦争中 寝巻で寝ていた人は、空襲警報が鳴り、服を着替えている間に焼夷弾が落ちてきて、たくさん焼け死んだ。だからうちは、いつも防空壕で服を着て防空頭巾をつけたまま寝ていたと」話を聞いたのを思い出したからだ
そんな3月11日 庭の梅の木だけが妙にまぶしかった
僕が撮影やツーリングに行くとなぜか地震が起こる
1 苫小牧沖地震の時も北海道にツーリングでいた
2 宮城内陸地震の時はツーリングで新庄にいた
3 311の時はロケの予定だったが、やめた
4 2018で北海道地震の時 その前日にバイクが壊れツーリングをやめて北海道からフェリーにのった
5 先週 能登にいったら数日前に能登で地震があった
あるスピリチュアル系の人によると、地震の前は地場が変化するので、それに相原さんは妙にシンクロして、誘われて行ってしまうのかも?と言われた
でも何事も毎回ないのは、ご先祖様と両親のおかげだと感謝している
311 忘れずに、そして毎日が11だと思い備えを怠らないようにしたい
そして梅の花が咲くたびに、備えあれば憂いなしを思い出すだろう
webでの写真のフォトエッセイが中心ですが、その中で作品と音楽とのコラボの配信があります