新春富士遠望図

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【和の「写心」By Masaaki Aihara】
「新春富士遠望図」千葉県 館山市 洲埼灯台
FUJIFILM X-T3 + FUJINON XF10-24mmF4 R OIS WR
そろそろ松飾りも取れ、お正月気分も抜けてきた。それでもやはり新年の写真と言えば「富士山」。特に海の向こうからの長い旅の帰路、飛行機から富士山が見えると「帰ってきた」と毎回思う。富士山の麓、南足柄には富士フイルムの工場がある。



今から10年前、Xマウントの第1号機であるX-Pro1が世に出るまでは、作品はほぼ全て南足柄の工場から生まれる銀塩フィルムで撮っていた。メインの撮影はVelvia50、PROVIA100F、ASTIA100Fのフィルムを使っていた。デジタルカメラが存在感を増してきても、デジタルをメインとした作品撮影には踏み切れなかった。理由はフィルム時代に確立した自分の世界観の色やトーンをフィルムと同等に表現出来、内面世界を完成できるデジタルカメラが存在しなかったからだ。デジタルに移行するためには、もう一度最初から世界観を再構築する必要がある。また、デジタルにすることでフィルム時代から長い時間をかけて追い求めている被写体のトーンや表現が変わり、作品性を継続できなくなる恐れもあった。どれほど世界観の差があるかというと、今までガソリンエンジンでF1に出ていたのに、急に来年から電気モーターのF1に変更になると言われるぐらいの大きな差だ。走り方からシャーシまわりの全てのセッティングを変更しなければならない。それぐらいの違いだった

だが、そんな考えにも大きな変化が生まれた。2006年にFinePix S5 Proが完成し、初めてフィルムシミュレーションを体験した時だ。「もしかしたらデジタルでも世界観を変えずに作品づくりができるかもしれない」という予感が芽生えた。2012年2月、僕は発売直後のX-Pro1とXF18mmF2 R、XF35mmF1.4 R、XF60mmF2.4 R Macroの3本のレンズを持って、北海道から東北までを撮影した。モニターに出てきた色とトーンはまさにフィルムでの表現と同等だった。自分の世界観・コンセプトを変えなくても良い。それはまさにギリシャ神話の「プロメテウスの火」のようだった。作品制作への不安からくる暗黒の日々に、いきなり灯された燈だった。JPEG撮って出しで使えるXの画像は、当時のデジタルカメラで当たり前だったように、画像処理をして自分の好みの色に整える労力が不要なため、フィルム時代と同じように現場での撮影に集中できる。



だが少し不満もあった。当時は交換レンズが3本しかなかったのだ。特に僕は超広角、Xで言えば14~16mmの世界観、さらに付け加えるならば、作品全体の中でアクセントを加えるために、200mm以上の望遠が欲しかった。当時はレンズ開発発表を一日千秋の思いで眺めていた。
あれから10年、この間にレンズも40本近くラインナップされた。自分の世界観の視点とフィルム時代から培われた色の世界、何も変えることなく、自分の作品を作り続けることが可能になった。カメラとレンズは作品というアウトプットを作るための途中過程としての存在だと僕は考えている。カメラはゴールではない。ゴールは自分の心の中を表現してくれるプリントだと考えている。制作途中過程のカメラとレンズに合わせてゴールを変えてしまうのは大きな間違い。Xマウント、10年の歩みはゴールを変えず、より精度高く、自分の心の中の世界を更に忠実に写してくれた。僕のゴールの扉を開けるカギはXシリーズとXマウントのレンズたちだけだ。Xマウントの次なる10年、より素晴らしい光と色の表現ができることだろう。機材に負けない高みを目指し精進していくつもりだ。
Photography by Masaaki Aihara








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by masabike | 2022-01-27 17:14 | 日本風景 | Comments(0)
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