
FUJIFILM GFX50S+FUJINON GF32-64mm
昨日 台風後の富士山を撮りに行った
自分が狙っているあるイメージアがある
昨日も見事にダメだった。これはカメラの性能とかレンズとはまるで異なる次元での理由
自分の狙っている富士山のイメージが、もし自然発生的に近いものが見えたとしても、絵として心の中に見えている世界はさらに、独自の世界観に変換されたもの。そのままでは作品にできない。画像処理でかなりいじらなければならない。ただどうしてもカメラやレンズの画角という点での制約からは逃れることができない。画像処理はかなりいじくり、あるいみ汚い絵造りになる可能性がある。
だったら絵にかいてしまった方が、より心の中がダイレクトになるのではと考える。心の中が筆でプリントアウトできればかなりいけるかな。画像処理の制約も、カメラシステムの物理的制約から解放される。ただそのためには絵筆の巧みさが求められる。昔絵を描いていたころに戻るためにしばらく練習は必要だが、もしかしたら富士山に関しては、自分のイメージは写真より絵画の方が適合するのではとも考える
何度か、横山大観氏の作品を見ると、絵筆の力強さは写真を圧倒的にしのぐ。カメラという機械 プリントマシンという機械を介さずに、脳からダイレクトに筆を通し、紙の上に再現する力強さはかなわない。もう一つは富士フイルムフォトサロンで岡田紅陽氏のモノクロ作品を拝見したとき、テクノロジーの進歩した今の写真が、紅陽氏の作品に力強さで太刀打ちできていない。富士山の孤高の力強さを再現するには、余分なものを排除しないとと考えてしまう。技法や色に頼ると 孤高の山と向き合う、大胆な気持ちがそぎ落とされると感じた
もし富士山を自分で描くとしたら、油絵よりも水彩画か水墨画が向いているかなと考えている今朝でした
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