FUJIFILM X-t4+FUJINON XF50mm/2.0
昨年 4月の緊急非常事態宣言以降 撮影のメインステージがオーストラリアから日常 しかも近所と家の中になった
撮影勘が失われないように、ほぼ毎日近所あるいは都内を歩きながら撮影している
定番の歩くコースは10ぐらいある。カメラやレンズの条件を変えたり アスペクト比の縛りをつけたり、毎日あきないようにして撮影している
だが何度も歩いている近所でさえ、こんなものあったんだとか。このアングルは初めてというのがある
コロナ前もよく散歩をしていた、そしてカメラも持っていたが、その時は見ているのではなく散漫に眺めていただけだと実感した。ただ気持ちを込めずにボーっと見ていた、集中力無く眺めていた。そういえばオーストラリアではものすごいハイテンション ときにはフォトグラファーズハイになるぐらいテンションを上げて歩き探し見つめていた、だから見つけられ被写体と波長がシンクロできたのかもしれないと
漠然と眺めていては何度通っても、良い絵は見つけられない。
以前 本田宗一郎さんの本を拝読したときに「庭の松の木の絵を描こうと思ったら、細かい枝ぶりや幹の質感が頭の中に想像できない。いかに自分が漠然と見て本質を見ていなかったか」という内容のお話が書いてあった。まさにそれと同じ
よく風景写真で 地元を知り尽くしているから俺は撮れるという方がいる。でも本当だろうか? きちんと見ているのだろうか?
よく鈴鹿とかモテギでF1やMOTO GPを開催すると、海外のTOPライダーやドライバーは初めて走るコースでも、いとも簡単に日本人選手の記録を塗り替えてしまう。俺が鈴鹿やモテギがホームグラウンドと言ってみてもまだ詰めるべき点があったということ。写真もそれと同じ
何度も通った タスマニアやバングルバングル まだまだ詰めるべき視点の問題は山積みだと思う
コロナ禍 Stay Home 自分の問題点のあぶり出しにこれほど素晴らしい機会と時間はない
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