Nikon D800E+Carl Zeiss Otus55mm
東京 六義園
初めてotusを使ったのが2014年 1月のお終い。2月に都内で雪が降ったとき、初めて本格的に撮ってみた。撮影していてピントを合わせると、自分がここを見ている、ここを表現したいというポイントが浮かび上がってくる。まるでレンズが僕の心を察しているようだった
ファインダーを覗いた瞬間 別の世界が広がっていた。それがまさにZeiss力だと思った。
Zeissのレンズのすごさと世界観を初めて知ったのは意外と遅い。2001年5月ぐらいだ。当時のうちのアシスタントの女子がCONTAXにZeiss Planer 50mmをつけていた。カメラ自体は故障やトラブルが多かった。オーストラリアのロケの休憩時間、彼女はテーブルの上のリンゴを撮影していた。それを見ていて「どうして故障が多いのにCONTA使うの?ニコンやキヤノンそれかペンタックスを使う方がいいんじゃない?」と言うと「でもこのカメラ レンズが最高なんですよ。他じゃ撮れない」と言うアシスタントさんに「そんなにレンズで世界が変わるわけないよ。じゃあ撮り比べる?」と言い 同じ露出 同じ富士フイルム Velvia50を入れて、CONTAXと僕のNikon F3P+Nikkor50mmでリンゴを撮った。そして同じラボで同時に現像を出してみた。現像が上がりラボでライトボックスにスリーブのフィルムをのせてルーペで見比べたとき驚いた。リンゴの赤の色のり、それと立体感が全然違う。レンズでこれだけ違のか!!驚きだった
でもCONTAXは企業改革 経営改革で消えてしまった。最後のころは中判645も出していた。すべてのコンタックスが一夜にして二束三文になぅった。名レンズもカメラが無くては使えない。多くの友人のフォトグラファーが、機材がゴミになってしまったと嘆いていた。下取りも駄目だ。何百万円のシステムがお終い。
でもZeissの神話は生き続けていた。
いまSONYやFUJIFILM XシステムでZeissは使えるし、ニコンやキヤノンマウント対応のOtusもあるので京セラ ヤシカが無くてもレンズは生き続ける。そしてヤシカが無くなったおかげで、僕はニコンやFUJIFILMのカメラでZeissが使える
京セラと言えば、経営の神様と言われる稲盛和夫氏がいらっしゃる。僕はお会いしたことも、会社経営の哲学も知らない。ただCONTAがなくなってから今日まで、稲盛さんを経営の神様と思ったことはない。なぜなら多くのCONTA&ヤシカカメラユーザーを一夜にして切り捨てた。企業にとりいちばん大切なお客様を切り捨て、且つ自社が生み出した大事な宝物の製品を、二束三文にしてしまった。しかもCONTAXのユーザーはプロが多い。おまんまを食べる道具だった。
お客様を考えないで経営者を僕はとても神様と信じられない。
でも神様の過ちのおかげでZeissを使えることを考えると、感謝しなければいけないのかな。いつもZeissを覗くとそう思う
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おだてられるとたくさん撮ります 笑