
FUJIFILM GFX50s+FUJINON GF120mm Macro
先週 スーパーで買った豆苗。残った苗床を水に浸すと、どんどん芽が出てきて面白い。
しかも窓辺に置いておくと、お日様に向かって伸びていく。
あまりにかわいいのでしっかり撮りました。でもGFX50S+45-100mm 手振れ補正がついているとはいえ、ブレが心配なのでISO6400までUP。実はGFX高感度にも強いです。6400でもこの画質です。という訳で身近な被写体で楽しんで、不要不急な外出は控えています
ところで、いろいろなところで写真の審査をさせていただいて気が付いたことがある。その前にまだ自分の写真も現在進行形で完成に行っていないのと、自分ですら純然たるコンテストで写真の賞や入選もしたことがないのに、他人様を審査することもいかがなものか、お恥ずかしい限りですが・・・。審査していて気が付くことが3つある。特に風景というかネイチャー
1)暗い写真が多すぎる
2)珍しもの自慢
3)遠くに行くこと=良い作品が撮れるの勘違い
1に関しては、どうも重厚感のある写真、力強い写真 =暗い写真と勘違いしている人が多い。以前富士フイルムフォトコンでグランプリに選ばせていただいた写真は力強く明るかった。エリオット・アーウィットの作品もウィットに富んで明るい。植田正治さんしかり。前田真三さんの作品も、さわやかで明るいものが多い。なにか暗ーい感じに撮らないとコンテストに入選しないと思っている人が多い気がする。特にいまコロナで現実はとても重い暗い、せめて趣味の写真の世界ぐらい明るく楽しい写真をもっと撮ってほしいし、そのようなものはコンテストに入ってほしい。
珍しものはやはり、珍しい自然現象やカワセミが獲物を捕らえる一瞬。確かに珍しいし、学術的に大切 貴重な作品もある。でも珍しい 変わっているから1歩踏み込んで、そこにその人らしさを出してほしいと思うのは、僕だけでしょうか?
そして遠くに行くこと=良い作品 これはお前だってオーストラリアに行っているではないか!とおしかりを受ければ当然のこと。ただよく聞かれるのはオーストラリアに行けばよい写真が撮れますかと聞かれる。それは間違え。身近でい写真が撮れない人は遠くに行っても撮れない。撮れたとしても被写体頼み。そうすると最後はただ世界の風光明媚な場所、珍しい場所を旅して撮影しなければならなくなる。何百の国や地域に行こうが、それは作品とは関係がない。利休ではないが小さな茶室で宇宙を感じる哲学を表現することもできる。遠くに行けばよい写真が撮れるならば宇宙飛行士が世界最高のフォトグラファーになる(もっとも彼らはすごい作品を撮りますが・・) ぼくがオーストラリアを選んでいるのは、自分の宇宙観に近い世界がそこにあったから。
バブルのころ 1990年代までは世界の珍しい景色 辺境地さえ撮ってくれば写真家になれた。世界何百か国を旅すれば、その話題で写真家やトラベルジャーナリストになれた。だがインターネットの発達 LCCの普及 交通網通信網の進化でそれは今では無。どこに行きどう自分の哲学を表現するかだ。奇麗、珍しいだけでは、もうひゅ化されない時代。ある意味 本質を問う時代で良いのかもしれない
コロナ禍 いままでと写真を取り組む違うベクトルについて考えるときだと思う。コンテストのためや賞のために撮るのではなく、自分のため、自分の心の充実のために撮り、それが運が良ければコンテストに入選したり賞をとったりすればとても気持ちがいい。間違えてはいけないのが、コンテストを否定するわけではない
身近なもの 自分の視点 自分の好奇心 それにもっと素直に従い、元気な明るい写真をたくさん撮ってもらことが、いまの世の中とても大切と考える
そして僕は明日も身近な豆苗を撮るだろうwww
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