戦友との夕餉

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FUJIFILM X-T2+FUJINON56/1.2(陶器)  Carl Zeiss Touit50M(Food)


金曜日の夜、4ヶ月半ぶりに我が家に来客。コロナ対策のために外からのお客様を家に入れていなかったからだ。理由は自衛隊の感染防止マニュアルに従い、家の外をHotゾーン、中をグリーンゾーンに分けていたから。来客はうちの元アシスタントの山下君。もちろん家に入るときは消毒と、玄関からすぐに浴室直行で全着替えとシャワーを浴びてもらった。その代りあとはゆっくりくつろいで泊まって行ってもらった。帰りの夜の電車の感染が怖いからだ

山下君は1998~2004年まで撮影のアシスタントをしてもらっていた。それ以前は中堅ゼネコン勤務 バブル崩壊で倒産して、オーストラリアにバイクで旅をしに行った。ワーキングホリディでなぜか延長できて1年半滞在(多くの人は実は不法滞在と言っている 爆)

帰国後 ぼくの最初のCD-ROM写真集「オーストラリア」(シンフォレスト刊 なんと4万枚以上売れました。いまだに自分の出版物で最大の売り上げです)見て、弟子入り希望で直訴しに来ました。偶然彼が来た日は僕は、バイクで白いバイクと仲良くなった結果 免停60日の通知が来た日。「免許持っている?運転できる?」「ハイできます」「なら採用」で決まりました。でもいちおうブックらしきものは持ってきてくれたので写真はチェックしました。そしてその時に、かなり危険なところに行くので「運はいいほう?」と聞くと「運 めちゃくちゃいいです。強いです」という返事だった。その後それは事実だと痛感した

ですが、そのあとが大変。なんとフィルムの入れ方がわからない(かれはミノルタのアルファでオートローディング)フィルムの種類 中判 大判もわからない。レンズもわからない。毎日が写真教室。思わず「アシスタント代を払うのではなく、授業料とるよ」といったことがあります。(笑)

ただ彼がうちにいた間は一番の僕の撮影の修羅場。2000年のシドニーオリンピックに合わせてオーストラリア写真展を開催したかったので、難易度AAAのところにかなり無理をして長期に行きました。雨季の熱帯雨林 猛暑の砂漠などなど。さらにそのあとタスマニアの写真展目指してタスマニアも4回ほど。彼と旅した距離はたぶん10万キロ近いと思います
しかもホテルではなく、キャンプです。途中で帰りたくても帰れない、檻のない牢屋です。そんな中での6年近い時。撮影時はボスとアシスタントだけど、その日の撮影が終わり、キャンプでプライベートな時間では、旅の友として接するようにしていたし、そうするように言っていた。そうしないと、いざ撮影で集中してもらうときに集中力が発揮できない。なのでキャンプのご飯は手分けで作る、あるいは交代で作る。移動の間、運転は僕がするのでその間は寝ててもよいとしていた。すべて集中してもらうため、緩めるときは緩めておかないと、糸はキレてしまう。そしてお同じご飯を食べることは旅の連帯意識ではとても大事。特に山下君とは空撮が一番多かった。特に最長9時間のベルジェットレンジャーでの空撮も彼がサポート。なので名張りが大切


そして僕の母の葬儀や、家内との結婚式にも立ち会い参加(なんと彼は式の朝 我が家へきて”相原さん今日は決まっていますね”と言ってくれた爆 今日 決まらなかったらどうするの?と返事をしたこともあった


そんな彼も今や独り立ちで、バリバリ仕事をして、写真展も開催し、ニコンさんやペンタックスさんなど多くのメーカーや広告代理店の人にかわいがられているみたいで、一部では先生と呼ばれているみたいで(笑)でも見ていてとても安心です。ただ彼がうちにアシスタントでいる間は、技術的なことはさほどたくさん教えなかった。その代りメディアの世界で生きる方法 仕事をするビジネススキル 生き残る方法を教えたつもり。ある晩 砂漠でのキャンプで彼が「相談があるんですが?」」と切り出してきた「つらいからやめたい」というのかなと思った(一度彼には写真家向いていないから、実家に買えればと言ったとき 「死んでも帰りたくない」といった意志の強さを感じたことがあった) キャンプの焚火を囲んで「賞が欲しいです。そすすればお金は入るし、売れるし、個展もできそうです。どうしたら賞がとれますか?」と聞かれた。僕は「賞をとるために写真を撮るならやめた方がいい。少なくともうちにいたら賞は撮れないし、そうゆう考えであればいらない。ただ一生懸命に撮影して、良い作品が撮れて、そのご褒美で賞が来るのならば素晴らしいから、受賞したほうが良い」と答えたのを覚えている。それ以来彼はその質問をし無くなった

うちの家内もよく知っている山下君。今でも大切な家族の一員。これはほかのうちにいたアシスタントさんも同じ。みんな運命共同体。

金曜日の夜は 結婚10周年記念用のタスマニアのMOMA美術館のスパークリングワイン カツオのたたきとサーモンなどなど、しこたま飲んで食べてたくさん話をした。山下君の高校時代の話で盛り上がった。そして僕たちの結婚10周年のお祝いに、素晴らしい夫婦湯飲みをいただいた。

またこれからの長い人生 彼と撮影に行くことも人生の時間を共にすることも多いと思う。山下君 これからもどうぞよろしくね


翌早朝 リビングを覗くと彼はもういなかった。次の撮影に向かったらしい。頑張って!!そして生き残って!!








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by masabike | 2020-07-20 09:03 | 美味しい食べ物 | Comments(0)
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