
FUJIFILM X-T1+FUJINON35mm

FUJIFILM X-T1+FUJINON35mm

FUJIFILM X-T1+FUJINON55-200mm
昨日は家内の母の一周忌。家で家内と家内の母の好きな食べ物 彼女の故郷の四国の食材でお仏壇と会話しながら静かに食事をした
やはりなくなることは悲しかったです。それは自分の親でも誰でも同じ。
ただオーストラリアの荒野で大自然をの中に身を置き 自然と対話し地球と同化しながら撮影していると感じることがある。前にも書いたが、命は奇跡の結晶であること。この地球の歴史で、どこかで微生物同士の出会いがずれていた、爬虫類のつがいが生まれなかった。類人猿の人たちの、仲間の出会いがどっかでずれていたら、自分という存在、自分の家族や知り合いの誰かはいなかったはず。まさに46億年の奇跡の結晶が僕であり皆さんであると思う
ただ悲しいことに、一瞬の輝きであるから奇跡である。奇跡はいつもお長続きせずに終わるもの。それをしっかり受け止めることが大切。
家族 友人の誰かが亡くなればとても悲しい。泣き、嘆き悲しむ。だがそれはあまり長続きさせるとよくないということを、ある知り合いの向こうの世界と会話ができる人から教えていただいた。家族があまりに嘆き悲しみ泣くと、魂はこの世に未練ができて成仏できないという。大切に思うことはとても大事。だが必要以上の涙は魂によくないだろう。
僕も大切な友人を30代初めに無くした。悲しかったが、その人の意志と夢を自分が引き継ぎその分 思い切りエネルギッシュに生きようと決めた。人はエネルギーの塊だと思う。考えたら毎日食べて飲む そのエネルギー体が、消滅してもパワーはこの世に残ると思う。それを大切に思い引き継ぐことが生きている人の役目だと思う。自分の母がなくなったとき、告別式のごあいさつでなぜか僕は当然「世界一のランドスケープを撮るフォトグラファーになります」と宣言して、告別式会場を唖然とさせた www
それまでは撮影に行っていても、母親の介護があるから、面倒を見なければならないからを理由に、どこか一部では写真家としての生業から逃げていた部分があった。それを不退転の覚悟で臨む決心をした。花の葬儀が終わり2週間後 ぼくはタスマニアの森へ出かけた。そして森の精霊たちと向き合い、力をもらい撮る事が出来た。

タスマニア ミルクシェイクリバーの森にて
2002年2月撮影
Nikon F3P+Nikkor 105mm Macro +FUJIFILM PROVIA100F
そしてなくなった魂とは、お盆やお彼岸 命日に大切に思いゆっくり語り合うことで供養ができると思う。必要以上なな悲しみより、しっかり生きているから心配しないで仏様に見せる人生を送りたい。今日も家内の母にお見せする写真を撮り行こう。彼女はフリーランスのフォトグラファーでとてもとても心配していたのでwww
いまはStay Home
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