我あり 

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LUMIX S1R+SIGMA12-24mm

Pandani  クレドールマウンテン 国立公園
撮影協力 タスマニア州政府観光局 カンタス航空

6月1日 写真の日 去年の今頃は、オーストラリア撮影30周年のマイルポストとしてLUMIX GINZAでEarthraitという写真展を開催していた

そのなかで出す予定だったタスマニア パンダニの作品。存在し続けることの強さをテーマにした作品。だが強すぎて、他とのバランスが悪く写真展では没にした。でもこのカットは僕のこころの中ではいつも「われあり」と思い出されるカットだ。いつも思い出される、これはメディアとて同じこと・・・

誰しもがLUMIXはフルサイズを出すとは、しかもライカ&シグマ社との協業でLマウントアライアンスなるものを引っ提げて登場するとは。そしていきなりのカメラグランプリと銀座にギャラリー。多くのカメラメーカー、写真関連メディアも驚いたに違いない。
それからさかのぼること9年前、富士フイルムがX100を皮切りにXシリーズの発表発売をしたときには同じくらいあるいはより大きな驚きで迎えられた。だが決してポジティブな意見ばかりではなかった


僕の作品もだいぶ Xシリーズのお披露目で使われた。だが多くの写真家やほかのメーカーの方からは
「色はいいけど、感材屋さんにはカメラは無理だよ、相原さんはF社と心中するの?」「カメラシステムなんてそう簡単にできるものではないお手並み拝見」「相原さん 悪いこと言わないから、自分のキャリアを大事にしないと」とすら言われた

だが当時のXシステムも、昨年発売されたSシリーズも革新的なことと確実なことの融合を感じていた。自分にとり、うまく行かないと思う考え自体が謎だった。

これはカメラだけではなく、写真家 写真を取り巻くすべての物、メディアも含むと思う。常に変化し進化する。ダーウィンの進化論だ

写真は光と影と時間という、固定できないもの、流動的なもの、永遠に変化するもの。だから取り巻くものすべてが常に、前を向き進化変化前進しなければならない。オーストラリアの国の紋章は、カンガルーとエミューという動物。この2つの動物の共通点は、前にしか歩むことができない動物。建国200年少しの若い国オーストラリアは常に前進することで、前に進むことしかできない2つの動物を紋章としている

写真もそうだ。すぎさった光と時は、どんなカメラをもってしても撮れない。どんな天才のフォトグラファーでも過去の光は呼べない。そしてメディアもしかり。

本日 とても残念なことに、長い歴史のアサヒカメラが休刊になった。その長い歴史の積み重ねと、ここから旅だった多くの作家 作品を思うと寂しい気持ちもある。だが僕にとりこれは突然来たことではなく、35年ほど前に予期して感じていたこと。だから予想した通りとうとうその日が来たかという気持ちが正解。残酷な言い方をするとさほど驚かなかった。このような事を書くと、「この天邪鬼 」「ひどい」「厚顔無知」といわれブログは炎上するかもしれない。

実は驚かない理由があった。広告代理店時代、ある写真もからめるイベントをしてみたいと流通系クライアントからオーダーがあり、イベントの企画書を作るために、写真のマーケットリサーチをした。当時はまだデジタルなんてない。まさにKODAK VS FUJIFILM , NIKON VS CANONの一騎打ち状態で ある意味 写真の広告も一番脂がのっていた。広告イベントは紙媒体(新聞 雑誌)電波 (ラジオ テレビ) 交通広告(電車の中吊り 駅張りポスター)それからPOPから成り立っている。広告代理店の営業マンはマーケ戦略担当と、これらの持ち駒をどう使うか、媒体別広告単価(1ページ CM1枠 新聞1段)と予定出稿量を併せて計算する。その時に各メディアのメディア特性を調べる。公称ではなく実売販売数、視聴率  ユーザー特性 (年齢 平均所得 持ち家率 住んでいる沿線等住居環境  購買力) これは広告代理店が持っているマル秘でもある メディア特性資料がある。当時 ぼくはそれでカメラ雑誌 各誌を見た。1985~88年当時でもかなり一般紙に比べて、訴求力が弱いのと実売部数が低いのに驚かされた。正直 良く存続しているというのが実感だった

とうぜん 客の訴求効果の歩留まりが低いので広告料も安い。担当営業マンとしては、クライアントに勧められない。結果的には写真イベントは、モータースポーツイベントに変更となり、カメラ雑誌等へのアプローチはなかった

その時に見たうちの一つにアサヒカメラの資料もあった。当時のイメージとしてアサヒカメラはメディアとしての終焉というのが見えていた。クライアントのリスクを事前に察知し、リスクの高いメディア イベント タイアップをクライアントに対し警鐘を鳴らすことも代理店の営業マンの大事な仕事。残念ながらアサヒカメラはその当時でもろ手を挙げてお勧めできないメディアになってしまっていた。自分が好きだったメディアがおすすめできない。かなり悲しかったが、クライアントかな何億円もの予算を預かる広告代理店の担当者が、趣味でクライアントに危険なリスクの橋はわたらせられない。あくまでクライアントの代理人であるのだから

間違った戦略をした代理店は、次のコンペに呼ばれない、あるいは新聞やテレビへの原稿の出稿の扱いという、一番おいしい部分をほかの広告代理店に変えられてしまう。自社の失敗は他社の手柄になる、椅子取りゲームだからだ。特に大手新聞 絡みの扱いとなると、広告代理店が1メディアで取り扱う金額は年間数億円から数十億円にもなる。これをほかの代理店に奪われると、ごめんなさいでは済まない問題になる。残酷なまでに数字こだわらなければならない。老舗だからとか編集長がいい人だからとかでの情緒的なこと気分的なことで、メディアは決められない。

みんなが感傷に浸り、懐かしみ、そして残念がる日にこんな記事は申し訳ないと思うが、これが現実であり、カメラ雑誌だけではなく、バブル崩壊 インターネットによるメディア革命 マルチメディアの台頭 リーマンショック により、適者生存できなかった  多くの紙媒体 多くの写真家 クリエーター そして時代の寵児とまで言われもてはやされた、広告代理店ですら数多くが消えていった。僕が務めていた会社も消滅した。だからアサヒカメラ終焉 予想していたことが予想通りに来たというのが実感だ。それ以上でもそれ以下でもない。

自分自身が生きのこっているのはかなりラっキーだと思う。 だから常に前進することをこのコロナ禍の中でも考えないと、明日は消えるのは我が身になる

そしてアサヒカメラは消えたけど、アサヒカメラが世に送り出した多くの写真家とその作品が、多くの人の心の中で生き続ければ、僕はメディアとしては成功だったと思う



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そして僕の本棚の一番見えるところには、いつもアサヒカメラ別冊 第1木村伊兵衛賞受賞作品 北井一夫氏 「村へ」がある。このSPRITが多くの写真家の中に 読者の中に生き続ければ、アサヒカメラは永遠の金字塔であると思っている。紙であることではなく、読者の心の中に永遠に生き続けること、これがあればメディアとして大成功で有ったと思う。歴代編集長 編集スタッフ そして写真家の皆様大変お疲れさまでした









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by masabike | 2020-06-01 18:52 | 写真アート | Comments(0)
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