マルク・リブ― 写真展 京都 何必館

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今回の京都訪問の目的が、祇園の何必館でのマルク・リブ―写真展の見学

学生時代に、マルク・リブ―の代表作 エッフェル塔のペンキ職人さんと、反戦デモの花をさす女性は見たことあったが、ほかの作品は不勉強で存じ上げなかった。今回はホー・チミンのポートレイトがとても印象的だった。あと、銃を組み立てる少年の作品

いずれの作品も、まさに時間を切り取り時間を執念でとじ込めた作品だった。1発勝負の被写体との対峙する力強さをひしひしと感じた。写真展で彼の言葉があった。「写真は仕事というよりも情熱、むしろ執念にちかい」とてもよく分かるし、とても共感できる。いつも自分でも、撮るときは執念で撮っている。なぜなら情熱だけでは、燃え尽きてしまう。情熱を支える、倍増させる燃料が必要だ。それが執念だと思う。執念が亡くなるとき、それは光と影が見えなくなる時だと思う


今回、彼の執念をしっかり見せていただき、感じさせていただいた。時間をかけて、執念という炎を燃え続けさせて、1枚の写真に凝縮させる。個人的にはそんな写真が好きだ。セバスチャン・サルガド 、日本人の野町和嘉さんにそんな執念の写真を感じる。そして自分自身でもそのベクトルで作品を撮りたい。何も手を加えず、己の気持ちを直球勝負でぶつける写真。もしかしたら人によってはデジタル時代、そうゆう写真は少し時代遅れと言われるかもしれない。画像処理そして合成が当たり前、全盛の時代だ。個人的には合成をしても良いと思っている。最初から、合成を前提とした作品作りは当然あり得るべきことだと思う。どうしても1発撮りだけでは表現できない世界はある。現代アート系の作品はまさにそうで、それはそれで素晴らしいと思う。トーマス・ルフの「カッシーニ」はまさに自分で撮りに行くことのできない世界を、映像化した作品で素晴らしいいし、大好きでもある

ただ自分の努力と情熱と執念が足りなくて、撮ることが出来なかったから、あとから画像処理や合成は、あまり好きではない。ラーメン作ったけどうまくできなかったから、あとから香辛料入れて、激辛にして味をごまかしましたみたいな感じだと思う。そして多くの合成や画像処理した写真は、なかなか絵画にはかなわないと個人的には感じる。どうせ、過酷する手を加えるならば、すべて己の気持ちの通りに表現できる絵画にはかなわない存在かもしれない。それは日本画 洋画いずれも、絵画には筆を経由して、書き手のエネルギーがダイレクトに伝わってくる。紙やキャンバス上に残された肉筆から感じる力強さ。それにかなうものはなかなかない。

もし唯一写真が絵画に迫れるとしたら、1枚の写真に時間と情熱と執念を凝縮して表す、1発撮りのリアルフォトの世界だと思う。
今回、マルク・リブ―の作品を見て そう思うし、今予約しているサルガドの写真集を見てもそう思う。技法ではなく執念で撮る写真 。ダイナサウルスのような写真家と呼ばれても、僕はそこを目指したい。


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by masabike | 2019-10-28 22:29 | 写真アート | Comments(0)
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