Nikon D800E+Nikkor14-24mm
Nikon D800E+Nikkor24-70mm シベリア空撮
シベリアで見つかったマンモスYukaから細胞をとりだして、クローンのための実験のニュースをテレビで見た
とても懐かしく感じた。それは2013年 3月 僕はシベリア ヤクーツクに飛び、読売新聞社の依頼で、マンモスYukaの克明な記録撮影をすることになったからだ
ヤクーツクはシベリアのど真ん中。3月とはいえマイナス45度ぐらいまで気温は下がる。極寒の地。空気さえも凍りつきそうだ。地球温暖化の影響で、永久凍土が溶けて、マンモスのメスの子供Yukaが見つかった。ユカギル村というエリアで見つかったので、Yukaと命名されたという
シベリアの永久凍土にYukaを置いて撮影した。まさにいま走り出しそうだった。撮影の依頼があり、シベリアに行くまでは、なんと1週間。オファーは即答した。なぜならシベリアの大地は昔から妙な憧れというか血が騒ぐ場所だった。中学生のころ、社会科の時間で、世界の行ってみたい場所で僕は、シベリアと天山山脈と答えた
この2つのエリア、地図を見ているだけで血が騒ぐ。もしかしたら前世があるのならば、自分は大昔にこのエリアにいて、マンモスを追いかけていたのではと?そして追いかけるがマンモスから光と影。狩る道具が矢じりから、カメラに変わっただけなのではとよく考えている。シベリアの大地に立った時、Yukaに対面した時、なぜか妙な懐かしさと、以前見たことあるなというデジャブ―的な感覚に襲われた。過酷なシベリアの大地、でも1週間の滞在の間なぜか、帰省しているような雰囲気だった
ヤクーツクでの撮影で一番お世話になったのが、現地 サハ族のコーディネーター ポタさん。どう見てもモンゴロイド系。1週間の撮影でとてもよくしていただき、仲良くなった。彼から、またシベリア来てよ、そしたらフレンドオブシベリアにして、湖に名前を付けてあげるよ!!とも言われた 笑。そうなぜかシベリアの人たちとはウマが合った。町を撮影で歩いていても、現地の人と間違われて、「そのカメラどこで手に入れたんだ」としばしば声を掛けられた
マンモス復活?のニュースを見た後、オンデマンドTVでNHKスペシャル 「日本人はるか旅」を見た。シベリアからいかにして、氷河期に日本列島に、日本人のルーツがやってきたかという番組。凍りついた、津軽海峡を渡る、シベリアからの民の人たちのCGを見た時、自分もあんな風にして、渡ってきたような記憶がと思ってしまった
狩る獲物が、マンモスから光と影になっても、狩人としてのDNAは変わらない。シベリアでの体験は、自分が太古の昔 マンモスハンターであったことを感じさせてくれた。今度再び、マンモスに会いにお台場でのマンモス展に行ってみようと思っている
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