僕はモノクロ写真が好きだ。デジタル、フィルム問わずだ。特にポートレイトはフィルム時代からほとんどモノクロ。なぜならばその人の生き生きとした表情が表現できるからだ。カラーだとどうしても、洋服や背景の色にも目が行ってしまう
表現したかったのは、生き生きとした人物像とその人にあった時の空気感。そして基本的にはモノクロで重いドロドロした作品は個人的に好みではない。ただ間違えないでいただきたいのは、力強い作品と、重いどろどろした写真は違う。良い例がセバスチャン・サルガド。とても重厚で力強いが、ドロドロしていない。どちらかと言えば「宗教画」にちかい清廉さが存在する
デジタルになり、モード切替でモノクロが選べる、インスタ映えの反動でモノクロ あるいは各カメラメーカーがモノクロモードに力を入れているので、モノクロの波が来ているのはとても良いと思う。富士フイルムも新しいアクロスⅡを発表したし。ただドロドロ 重い写真=モノクロと短絡的に考える方が多い気もする。光と影とグラデーションが整理されていないと感じる作品が多い気がする。単にカラーから色を抜いただけ。どうしてモノクロで表現しなければならないかが、抜け受落ちている気がする作品がSNS上やあるいは新人のプロの方に多い気がする。つややかなものトーン、光と影の大切さがどこかに忘れれれている気がする
僕も学生時代に、ドロドロの被写体、高感度素粒子現像もしたので、あまり人のことをとやかく言えないですが。特に学生時代は北井一夫さんのアサヒカメラ連載の「村へ」へ憧れて、素粒子+廃屋 廃墟 限界集落的なものをよく撮りました。ただある時からぱったりそれを撮らなくなりました。それは出来た写真の表面しか見ていなかった。撮影者の内部宇宙 コンセプトを見ていなくて、今で言うとこの"スペック”しか見ていなかったことに気がついたからだ。それは広告代理店に入り、広告のコンセプトワークを徹底的に仕事でやらされて、被写体の裏に潜むものをいやというほど教え込まれたからだ。その時点で、僕はどろどろの重い世界ではなく、もっと違う元気が出る世界、人が作品を見て、微笑んでくれる世界を追い求めようと考えたからだ。そしてもう一つが光と影の美しさ
ただこの結論に達するためには、たくさんの名作あるいは一流のプロの作品を見たから、写真美術史 あるいは写真の流れでどの立ち位置にするか、考えることが出来たからだ。ぜひいま新しいモノクロの波が来ている。モノクロ好きな方、ブームで終わらせないために今一度、過去の作品を見て なぜモノクロか?考えてほしい。カラー写真から色を抜いたのがモノクロ作品ではない。重く撮ること、ドロドロに撮ることだけがモノクロではない。光と影だけだからこそ緻密な構図の整理が必要と感じる
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