FUJIFILM X Series facebookよりKatachi

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【和の「写心」By Masaaki Aihara】

「Katachi」富山県 高岡市 瑞龍寺 宝冠釈迦如来像
FUJIFILM X-H1 + FUJINON XF16-55mmF2.8 R LM WR

数十年ぶりに特別に公開された仏様を撮る機会に恵まれた。時空を超えた存在感と荘厳さに目を奪われた。だが仏像を撮るのは写真家にとって、とても難しい題材だ。これは仏像だけではなく、他の立体的なアートや建築も同じだ。なぜならば、作品それ自体が完璧な完成品なので、完成品をそれ以上に美しく撮ることは超難解だ。

下手をすると単に作品の説明写真、あるいは最悪の場合は作品の良さをぶち壊す写真となってしまうからだ。では、そうならないためにはどうするか?まず大切なことは被写体をじっくり見ること。そして被写体となる仏像やオブジェ、あるいは建築のどの部分に自分の心が惹かれたか、自問自答すること。これは風景でも同じである。目の前の風景のどの部分に自分の心が惹かれたか問いかける必要がある。

しかもその好きな部分というのはかなりフェチズム的な要素が必要だ。自分はこの仏像の指の曲がりが死ぬほど好き!!とか、建築物の柱のラインがたまらんぜよ!!と思うくらい惚れこまないと難しい。

今年の1月から2月にかけて20世紀近代建築の巨匠 ル・コルビュジエの作品を撮る機会に恵まれた。そのなかでも特に東京の国立西洋美術館に一番熱中した。熱中したのは建物全景ではなく、館内にある一つの階段の手摺。手摺の曲線と直線のつながりが、どうしてもたまらなく好きで惚れ込んでしまったからだ。あたかも好きな女性と恋に落ちてポートレイトを撮影するように、あくなき欲望で撮影した。階段の手摺の線だけで2時間近く撮影した。世界遺産の美術館だったので、保安上の問題で警備員さんと広報の方が立ち会ったが、ひたすら手摺だけ、アングルを少しだけ変えたり、フォーカス位置を少しだけ変えたりして撮っていると、「えっ!まだ撮るのですか!」という無言のプレッシャーを感じた。(笑)それぐらい惚れ込みしつこく撮ることが、完成したアート作品のさらに奥を撮るには必要かと思う。

今回の高岡・瑞龍寺の宝冠釈迦如来像は初対面で、手を組んだ造形に惚れこんでしまった。全体像も勿論撮ったが、この手の指だけで1時間撮影させていただいた。撮影が終わったとき釈迦如来像が微笑まれた気がしたのは錯覚だったのだろうか?仏像も建築も風景も、自分が惚れたところを自問自答して見つける。そしてフェチズム的にとことん自分の視点で惚れ込む。これがなくては、自分の世界観の作品はどんな被写体でも生まれない。そしてその昂る気持ちを、確実にいつもXとFUJINONレンズは伝えてくれる。

 

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by masabike | 2019-06-12 23:11 | 写真アート | Comments(0)
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