Endress

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FUJIFILM X-pro2+FUJINON18mm




このトンネルの向こうに、MIHO Museumがある。今回の展示はこれ!!









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今回の展示は、雪村(せっそん)。大胆な構図と独特な着眼点、そして太いけど優しい線。とても勉強になりました。見て自分の物に出来るか、栄養として取り込めるか?それはわかりません。でも等伯や、雪村、光琳など絵もそうですし、小津安二郎氏や黒沢明氏 コルビジュエなどなどいいものをたくさん見ると、何が素晴らしくなにが本物か、ほんの少しだけわかる気がします。そしてなにも素晴らしいものを見ないと、何が素晴らしいのか基準が出来ると思います

以前、シドニーで世界TOPのシェフ、Tetuya氏にお会いした時「オーストラリアは移民の国、子供のころからいろいろな味覚に接する機会がこの国の子供には多い。いろいろな味覚で育った子供たちは新たな、素晴らしい味覚を見つけると思う。そしていつの日か、ここで生まれた子供たちが世界TOPシェフになると思う」と、おっしゃっていた。写真も同じだと思うインスタグラムやFBもいいけど、しっかりしたプリントした本物を見ないと、基本や基準が定まらない、受けだけがいい写真家ごっこの人たちが増えていきそう。きちんとした、基礎があり、コンセプトや哲学があり、きちんとした絵コンテが書ける、それがプロとしてやっていくお作法だと思う。

 お作法がない、イイネだけが頼りの写真では、写心と言えない。それは邪心だと思う。写心は自らの心に正直であり、観た人の心を打ち、楽しくなる、あるいは心が豊かになる、心が動かされるものでなくてはならない。見た人が、こころではなく、単にカメラが欲しい、では心ではなく財布が動くだけ。カメラは素晴らしい作品を撮る通過点に過ぎない。写心は写真を愛する全ての人に宿るもの。けして自分の名誉や収益を最優先としてあるものではない。はじめてカメラを手にした時、好奇心いっぱいで楽しくて楽しくて時がたつのも忘れた。もし若いころからコンテストで一番になることだけを考えて写真を撮ったら、邪心に陥りやすいと思う。

 とくに最近、SNSの発達とともに写真を食い物にする、邪心家が増えた気がする。でも気がついたら自分もそうならないように注意しないと、朱に交われば赤ではなく、真っ赤になっていたら笑い話にもならない


長いトンネルを抜けると今回は。雪村というアートがあった。帰り道、また長いトンネルを抜けて俗世に帰った。そこにあるのは写心なのか邪心なのか。僕は前者であり続けるために精進したい





by masabike | 2017-08-27 00:06 | 日本風景 | Comments(0)
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