音合わせ されど・・・・・


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FUJIFILM X-T2+FUJINON50~140mm 電子無音シャッター使用

後援 毎日新聞社
協賛 富士フイルムイメージングシステムズ(株)


9月のある夜、東京 国立演芸場では桂花團治師匠の「花團治の宴」が始まろうとしていました。開演前、一人で舞台にあがり音合わせをする花團治師匠。紋付ではなく、普通のジーンズ姿。この日の出し物、大一番の「立ちきれ」をかける。大きな演芸場にいるのは、師匠と僕の2人だけ。客席を挟んで対峙する形になる。音合わせだからという、軽い気持ちでファインダーを覗いたとき、レンズを通して、鬼気迫るオーラを浴びせられた。この大一番にかけるすごみが心に突き刺さる。まさに予想しなかった、真っ向勝負の一騎打ちに感じた。撮る方と撮られる方。とても音合わせの雰囲気ではなかった。眼をそらせたら負ける、そんな気迫が1枚ごとに伝わる。レンズに師匠が発する音の矢が突き刺さる気がする。

わずか数分の音合わせの撮影。でも実はこの日のエネルギーの半分をこの数分で僕は使い切ってしまった。1回ごとの高座が死ぬ物狂いの真剣勝負の死闘であることを改めて感じた。笑いが取れなかったら、それまでという厳しい世界。

多くの落語家さんが、高座が終わり楽屋に戻ると汗だくになっているのが良くわかる。ではいったいどれくらいの写真家が、1回ごとの撮影で死に物狂いになっているのだろう?わが身を見ても、あそこで少し力を抜いてしまったかもしれないというのがある。慣れてくる、キャリアを積んでくると姑息にもうまく手を抜くことを覚えてしまう。この日は、そんなことをしていたら駄目だよと教えられた気がした。この日、高座で演じられた「立ちきれ」は都合4回ほど拝見したが毎回毎回、落ちのシーンが近づくと興奮してしまう。花團治師匠の人情噺でこれ以外に「佐々木裁き」というのがある。僕はこれが大好きで、撮影で「佐々木裁き」があると嬉しくなるのだが、大好きな話なので、注意しないと、ついシャッターを押し忘れ聞き入ってしまう。写真を撮り忘れる、落語撮影での一番の注意点。でも高座の上の花團治師匠にしたら、写真家が噺に夢中になりシャッターを押し忘れるところを見たら「しめた」と思うだろうな。







by masabike | 2016-11-11 22:59 | 落語 | Comments(0)
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