土門拳記念館

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FUJIFILM X-T2+FUJINON16~55mm

毎年、土門拳写真美術館は訪問しています。理由は2つ。1つは自分の作品にカツを入れたい時。もう一つは写真展等でおだてられたり、ちゃほやされて鼻が高くなった時に、鼻をおられに行きます。そして今回は、宿泊した鳥海山荘が「土門拳写真美術館 バックヤードツアー付 宿泊パック」をしていたので、滅多見れないバックヤードを美術館のキュレーターの方にご案内いただきました


結論から言うと、とても素晴らしかったというか、脱帽でした。戦前のガラス看板のコンタクトプリントや、戦後のスナップ&報道、古寺巡礼のコンタクトを拝見したのですが、コンタクトの段階で完成品でした。彼の頭の中にはトリミングやレタッチという概念はないということが良くわかりました。撮影した瞬間にすべてが決まる、そんな作品であることがわかりました。シャッターを切った段階でフィルムに魂が入る。まさに「土門拳に写真を撮られると魂がとられるみたいだ」と言われたのが良くわかりました。しかも当時はまだポラもなかったのに

特に戦前の、文楽の作品のコンタクトは圧巻でした。カメラや技術を超越したところに作品は存在するということが、いやというほど心の奥にしみこまされました。昨今のデジタルのレタッチを土門拳が見たらなんというだろうかと考えました。プリントを見た瞬間あるいはモニターを見た瞬間多分怒って、破り壊していただろうと思います。それぐらい撮る瞬間の気迫を大事にしていたと思います。

また彼のスケッチも怖そうな顔の内面に潜む、優しさをよく出していました。でもその絵が、彼が脳梗塞で倒れたときの、リハビリでしかも利き手ではない左手で書いたと聞いて驚かされました。脳梗塞で右半身不随になったため、左手を使えるようにとのリハビリのために絵筆をとったのでした。撮るための執念が感じられました。そうしないと彼がいうところの「鬼が撮らせてくれる一瞬」は来ないと感じました。でも今回はキュレーターさんから興味深い、土門さんのヒストリーを聞きました。彼は25歳で写真に出会うまで、いろいろな職業を転々としたそうです。そのなかに三味線弾きの弟子というのがあったそうです。それがどうやら文楽との出会いのきっかけになったそうです。だから人生に無駄な出会いはないということを土門さんは証明してくれたとの説明を受けました。納得です。すべての出会いは道の上にあり、道を極めるために出会うと思います

いまは土門拳と濱屋浩展 それと「ヒロシマ ナガサキ」を開催しております。ぜひご覧になってください。とくに写真は、シャッター切ってあとからRAWデーターで何とかすればよいと、おもっている方(コンテンポラリーアートはまた別の話になります。あくまでリアルフォトの世界の話です)がぜひぜひご覧ください

鳥海山荘に泊まると、バックヤードツアーがございます。必見です




by masabike | 2016-08-22 15:44 | 写真アート | Comments(0)
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