
今回、鳥海山から東京に戻り際に、R108で湯沢に出てそこからR13で山形を目指しました。その際に金山町と言う小さな山形の町を通りました。とても小さな町ですが僕にとっては思い出深い町であり、人生のターニングポイントを創り出すきっかけになった町です。
1986年日本初の公道を使ったバイクラリー(レイド)がこの小さな町でありました。発案者は当時パリダカで2輪車250ccクラス優勝した横川氏と同じく完走した中村氏の2人でした。パリダカを夢見るライダーに日本で初のパリダカ形式のラリーレイドを行うとの募集がバイク雑誌に出ていました。当時年間6~8戦位、バイクエンデューローレースに僕は出ていまして、いつか夢はパリダカでした。募集を見た途端すぐ申し込みました。エントリー代はオフロードレースで日本で一番高く、食事と保険込みで5万円ぐらいだったと思います
レースは公道走行可能なナンバー付車両で、排気量別にクラス分けされていました。レースは名前を呼ばれて町に作られた特設ステージから1台づつスタートでした。2泊3日のレースです。すべてがパリダカ形式でした。エントリーは確か80台ぐらいでした。レースは最終SSでうちのマシンはキャブの調子が悪くなりタイムが落ちでやっと上位3割に入れるぐらいでした。それまでは250cc4stクラスではかなり上でした。
レース中はパリダカと同じキャンプです。レースが終わりトランスポーターにマシンを積み込み東京に戻ろうとしていると、主催者の横川さんが「よかったらキャンプファイヤーして打ち上げ飲み会するので出ませんか?」と言われ、あのパリダカ優勝の横川サンと話ができると思い参加することに決めました。宴会は主催者&参加者20人ほどでした。僕は偶然にも横川さんのすぐ近くにすわれいろいろなことをお聞きしました。たくさん話もしました。そのとき横川さんから「君はパリダカかどこか砂漠に行ったほうがいいな」と言われたのが、会社を辞め、砂漠に行こうかなと言うスイッチ第1弾が入りました。隣にはスタイリストでやはりレースに参加していた女性ライダーがいました。彼女が「私行きます」と言い出したのを覚えています。翌年1987第2回レイドカムロに出ました。僕はまだサラリーマンのままでした。そのとき昨年の女性ライダーに会いました。「元気ですか?」と尋ねると「私今度、これを機会にエジプトのファラオラリーに行くことにしたの」と言われて衝撃でした。まさに「負けました」というのと、この1年いったい自分は何をうじうじ考えていたのだろうか?くさった野郎だといやになってしまいました。レースの間そのことばかり考えていました。
それから4か月後、幸か不幸か、いろいろなチャンスと仕事のトラブルが重なり上司に辞表をたたきつけて、そのままオーストラリアに行く航空券を買いに行きました。そのすべてがこの金山町から始まりました。だからとても思い出深く、そして今でもこの町の路地を駆け抜けてレースをしていた思い出が昨日のように思い出されます。金山町の皆さんそして主催者のみなさんありがとうございました
写真は川渡セクションの時のもので主催者に撮影していただきました
そして辞表をたたきつけた4ヵ月後僕はこの世の地獄のようなオーストラリアギブソン砂漠ガンバレルハイウェイにいました。辛かったけど生涯の友達もできました。
カムロの時のマシンはHONDA XL250SそしてオーストラリアではステップアップしてXL600RMでした。次のターニングポイントはなんだろうと最近考えています