砂漠と宗教


f0050534_07390115.jpg














f0050534_07391522.jpg













f0050534_07390722.jpg
FUJIFILM X-T1+23mm



 羽田を深夜1時に離陸したカタール航空はドーハで2時間のトランジットののち一路ミュンヘンへ向かう。途中イランからトルコにかけてチグリス川流域からイランイラクの荒野を通過する。まさに何もないところ。ここに生まれ生きていたら、明日の朝日は見られないかもしれない。あるいは今日の日没まで生きていられないかもしれない。そんな自然の猛威に畏怖し、そして生き残れるならば何かにお祈りしよう、すがろう、助けてもラ王、そして最後に望みがつながれば感謝しようという気持ちが出てくるのが当然だと思う。そしてそれが神様なのかもしれない。今まで多くの時間をオーストラリアの砂漠でキャンプで過ごしたとき、大自然の前に陽とは虫気けら、あるいはバクテリア以下の存在だと実感した。だからこそ信仰が、宗教が出てくると思う。



日本は台風、地震、大雪などの災害はあるが、でも芳醇な大地、あふれる水、恵みをもたらす森や谷、それから海辺。多くの人は1日1日に自らの生存の危機を感じることがない。だから日本人には深い信仰や宗教観は生まれ根付かないと感じる。日本人宗教観と信仰心はまさに「困ったときの神頼み」だと思う。ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も共通して言えることが「すべて厳しい自然環境の土地」で生まれている。特にイスラム教はまさに砂漠の生み出した宗教だと思う。僕は宗教家でも宗教研究家でもないのであくまで独断と超偏見で考えるに、イスラム教はまさに砂漠の自然の厳しさが生み出した宗教だと思う。だから砂漠で生き延びるにはとても合理的で論理的な宗教ではないかと感じる。それは自分の砂漠生活で感じた。


 特に一日5回の礼拝は砂漠みたいな暑いところでは「日射病」や「脱水症状」の予防になると思う。強制的に手を停め、体の作業を停め心と呼吸を整える。高温の砂漠ではとても大事だと思う。またアルコールダメも、脱水症状の予防にもなる。そして1夫多妻制も、生存率の厳しい砂漠では、子孫を残す知恵だと思う。現にオーストラリアアボリジニは、子供を村全体で育てることもあると聞く。そして厳しい戒律は、砂漠の民で遊牧民であったら。各自が自由気まま勝手に行動されたら一族の存亡にかかわるともう。だからとても厳しい戒律で統率していく必要があると思う。だからイスラム教は砂漠に行ってみないと、砂漠で暮らさないと理解の糸口は日本人には、わからないかもしれない。


だからなおさら砂漠や荒野とは縁遠い日本、世界中から宗教間の薄い国と言われても仕方がないかもしれない。この豊かな国土がある限り。だからこそのこの豊潤で美しい島国を大事にしないとと、イランの荒野を見ながら感じた。皆さんはいかがですか?




30000人の写真展facebookです


富士フイルムさんのX シリーズフェイスブックで和の写心 (毎週水曜日更新)を連載中。「イイネ」押してくださいね


応援クリックお願いいたします!


by masabike | 2014-08-20 07:59 | 2014ドイツ旅 | Comments(0)
<< この夏最大の恐怖の朝ごはん 砂漠の宮殿 ドーハ国際空港 >>