しずくの国作品解説

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今回の写真展&写真集作品解説です


濃密な「間」

オーストラリアのダイナミックな自然を撮ることで知られている相原正明が、日本の風景を撮っているとは、奇異に感じるかもれない。タスマニアが北海道と似ているとはいえ、砂漠や熱帯雨林といった厳しく激しいオーストラリアの大地と日本ではあまりにも違うのではないか。しかし、アースレイト(地球=アースと、ポートレイトから作られた相原の造語)をテーマにしている彼にとっては、別の「国」を撮るのではなく、地球上の別の場所を対象に選んだにすぎない。もしくは、宇宙のレベルからすれば、ほんの少し視点をずらしただけなのだ。しかし、相原が、その眼を日本に向けるには時間がかかった。
 そもそも学生時代より日本各地を撮影した相原だが、彼はかつてオーストラリアで、あまりにも大きなスケールの自然の中で宇宙をじかに感じるような体験をしてから、帰国後、何を見ても感動しなかったと言う。おそらく、そのときの彼は日本の四季や細やかな美しさに接しても、オーストラリアに比べればちっぽけで取るに足りないと感じたのだろう。それが年を経て、2004年にオーストラリアで大規模な写真展を開催したことが、自らの作品と向き合い、日本に目を向ける契機となったようである。
 そんな相原の眼が日本という島を見つめたとき、そこに彼は豊潤な水と緑をたたえた、どこにもない美しさを発見したのである。オーストラリアから飛行機で日本列島に近づくと、淡い靄が包み込んでいるように見える。その湿り気こそが日本独特の色を生みだし、明暗を作り出していることに相原は気づいた。相原が捉えた日本の姿は、雪、霧、雨、川、湖、滝、海とともにある、「しずくの国」の素顔であり、水によって作られる、うるおいのある繊細な色の国である。
 相原は、オーストラリアで長年培った、自然と対話し、それを表現する独自の方法によって、改めて日本を捉え直そうとした。彼の日本の作品を見て気づくのは、その構図に表れた美意識である。とくに、その余白の表現、すなわち、「間」を表現する感覚は相原の日本人としてのDNAの中に刷り込まれているのだろうか。
 相原は、最も影響を受けたアーティストの一人として、意外にも長谷川等伯(1539~1610年)の名を挙げる。御用絵師の狩野派に対して一人で闘いを挑み、祥雲寺(※)等に素晴らしい襖絵を残した画家として知られるが、相原はとりわけ、国宝となっている「松林図屏風」(1593~95年頃)の、霧に浮かび上がる幽玄な松林の空間表現に最も感銘を受けたと語っている。なるほど、日本美術史上、この作品ほど日本の湿り気に満ちた空気を表現した絵画はないかもしれない。絞り込まれた要素による豊かな空間表現は、相原の作品にも認められ、彼の目指す世界がたしかにここにある。こうした「間」の表現に対する天賦の才だけでなく、作品制作にかける妥協のない姿勢にも、相原と等伯には共通点が見い出せよう。
 オーストラリアを撮った写真にも独自の「間」は表現されているが、日本ではそれが一層しっくりくる。それは日本の伝統的な美術を見てきた我々の慣れでもあるのだろうが、しかし、月並みな「日本的構図」にとどまらない。
淡白で寂寞とした印象を与えがちな日本的な「間」の表現と違い、相原のつくりだす「間」は、その中に力強さがみなぎっている。相原は撮影するにあたり、時間をかけて対象に対峙し、そのエッセンスを抽出するために、極力余分な要素をそぎ落としていく。彼は対象を切り取るとき、その周りの空気の緊迫感までも一気に切れ味鋭く切り取る。そして、いったん切り取った自然の姿は、編集作業によってトリミングすることも、パソコン上で操作することもない。自然の中に入っていくことで、自然の生命がカメラを通して相原の中に取り込まれ、それが作品から伝わってくるのだ。だからこそ、冬の雪景色の中にも、寒さに耐え、春を待つ充満する生のエネルギーが潜んでいるのが感じられ、空虚な「間」でなく、実に濃密な空気に満ちているのだ。
彼の作品を通して、ただ綺麗なだけではなく、また、静かで穏やかなだけではない、日本の自然の意外なほどの力強さに我々は気づかされるのである。

(※)祥雲寺は廃寺。この寺のために描かれた障壁画の一部が智積院に現存。

                           林 美佐 キュレーター
by masabike | 2013-10-08 08:22 | 写真集等出版物 | Comments(0)
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