命は奇跡の結晶

命は奇跡の結晶_f0050534_21352476.jpg





FUJIFILM G617 Velvia50





命は奇跡の結晶_f0050534_21515134.jpg


FUJIFILM S5pro  Nikkor14~24mm


かれこれオーストラリアのアウトバックと呼ばれる荒野を旅して25年が過ぎる。1988年ここで旅して地球に教えられたことがある。命は奇跡の結晶だと言うこと。本当の大自然は厳しい、厳しすぎる。癒しとかヒーリングなんてなまっちょろい物ではない。そんなものはエセ自然であり、癒されたいなんて思ったらここでは生きていけない。砂を食べても、空気の原子のなかからも水と栄養を搾取してみせると地球をだましてでも生き抜こうとしないと生きていけない。気を許したらたちまち足元の赤い砂の大地に帰ってしまう。

毎日キャンプをして、日の出日の入りを見て、荒野で生きる数少ない生物を見ていて気がついたというか、これが命だとオーストラリア大陸か地球に教えられた。命は地球の歴史が作った奇跡の結晶であること。46億年のこの生命体が生んでくれた奇跡の結晶。僕の命は単に、自分の命ではなく親から更にその親、そのずっと先、たぶんミトコンドリアぐらいから続く奇跡の結果だと言うこと。このブログを読んでいるあなたの命も、あなたの隣や、目の前にいるひと、あなたの家族の命もすべて何億、何兆、何京分の1の確立で誕生した奇跡であること。そして奇跡と言うのは、奇跡であるがゆえにとてももろい。砂漠でたった1秒の差でカンガルーにぶつかり死ぬ人もいれば、たった1メートルずれたばっかりに奥地の渓谷で岩にあたり死んでしまう人もいる。動物もしかり、親がコンマ1秒目を放した隙に、大事な生まれたてのポッサムの赤ちゃんがタスマニアデビルに食われてしまうこともあれば、水辺に10センチ余計に近づいたばかりにワニに食われてしまうカンガルーも要り。そのようなことが地球の営みであると自然の中で教えられ、そのような光景を何度も見た。

それぐらい些細なことで奇跡は残酷なぐらいに消滅してしまう。だから毎日キャンプで朝焼けを見るとき、今日は無事に夕日が見れるだろうか?テントを設営しながら、あるいは寝袋のジッパーを下ろしながら、明日の朝日は無事に見れるだろうか、朝きちんと目が開くだろうか、そんなことを考えてしまう。それぐらい自然と言うのは厳しいし、人間も含めた生き物の命は1秒後は誰も解らない。そして1988年以降いつもそう考えていたし頭ではわかっていたつもりだった 

命は奇跡の結晶_f0050534_21514570.jpg


頭ではわかっていたつもりだったが、6月19日、とても大切な奇跡の結晶が、糸が切れたように終わってしまった。奇跡は終わると解っていても、せめて納得する時間ぐらい欲しかった。そして悲しむぐらいの時間も欲しかった。無念
by masabike | 2013-07-03 21:55 | Comments(0)
<< 初夏の京都散策 35mmの味 丸の内宴会 >>