先日、大阪のニューオータニさんのお仕事のあと、京都国立博物館で
狩野山楽・山雪展拝見してきました 。どれもこれも素晴らしく間の取り方、題材の選定、技法、そしてその絵にかける執念というのを感じました。でも一番感じたことは集中力。特に観察するということの集中力です。
今回の目玉作品 狩野山雪 雪汀水禽図屏風。まさに鳥の動き、鳥の羽や筋肉の描写、そしてそれを感動したときの気持ちを入れてデフォルメしているあんばい。神業です。ビデオはおろか写真もない時代に動くものをこれだけ詳細にまた繊細に精密に書くということは、コンマ1秒以下の瞬間にどれだけ物を集中してみていたことか、そしてたぐいまれなき動体視力。それをしっかり心に焼き付けている。まさにこれは神業を超える集中力です。ほかの人物の絵巻物もそうです。またこれは狩野山楽・山雪に限らず長谷川等伯に関しても同じです。その瞬間の映像が残せないから、どれだけ己の心に残すか、まさに神を超える技です。これらの絵画を前にするとカメラなんていう機会に頼り誠に申し訳けない、お恥ずかしいですと土下座したくなります。
フィルムからデジタルになり、その瞬間をとらえるカメラだけではなくフォトショップまで使うようになったのを見たら、山楽・山雪や等伯はどう思うのでしょうか?しっかり見ろ!しっかり感じろ!とどやしつけるかもしれませんし、あるいは「戯言の遊びかの、ホッホッホッ」と笑い飛ばされるかもしれません。特にデジタルになり自分でも気負つけていますが、現場での緊張感がなくなりつつありますし、緊張感のある作品を見ることも少なくなり、機材とフォトショップのオンパレードになった感があります。1000分の1秒、1万分の1秒にどれだけ集中するかが、写真家というアーティストとただシャッターを押すカメラマンとの差をつけると思います。その差は一見わずかですが、日本海溝の底からエベレストの頂を見るぐらいの差はあります。しかも見ることではなく見て焼き付けることです。以前本田宗一郎さんが、リタイヤ後絵を始められて、庭の松の木をイメージしてお部屋で書こうと思ったら、頭に詳しく松の枝ぶりや葉の詳細が思い浮かばず、そのとき初めて自分は毎日庭の松を見ているようできちんと見ていなかかったことに気が付かれたとおっしゃっていました。つまり集中しないと見ているのではなく、ただ眺めているということになってしまいます。デジカメになり多くの写真家が、被写体と対峙するのではなく、眺めてるだけのカメラオペレーターに成りつつあることを痛感しました。自分自身も、もっと集中力をあげ気を昂ぶらせないとカメラオペレーターに成ってしまうと危機感を京都で感じました。写真を楽しく撮りながらかつ極める、この相反することを心の中で共存させることの難しさを感じたのが狩野派の展覧会でした
FUJIFILM x20
そして集中力を高めエネルギーを費やした、アートというのは見るとものすごい疲れます。それは凝縮したエネルギーが作品から放射されているからです。もちろん写真展もそうです。(見て疲れない写真展はたいしたことないと思います)今回狩野派ももちろん見終わった後はへとへとです。そこで近くのお茶屋さんで京菓子で一服しました。お菓子の姿、お部屋の電灯にさえたたずまいを感じます。お茶を飲みながら改めて撮影する自分の姿勢視点を考えさせられました
帰りの新幹線の中では京都駅で買った駅弁を食べながら奥様と、狩野派のお話などなどお伺いして盛り上がりました。持つべきものは学芸員の奥様です
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