天気晴朗なれども波高し

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 日本海航路のフェリー初体験はかなり満喫しています。右手に飛島や鳥海山を望み船は北上しています。少し大きなうねりですが良いお天気で、ビール片手にラウンジから船旅を楽しんでいます。飛行機と違い歩きまわれて足が伸ばせるので快適、快適です

ラウンジで水平線を眺めていると、隣のテーブルの80歳近いおじいさんが「天気晴朗なれども波高しか・・。」とつぶやいていました

まさに昔の名文。「敵艦ミユとの警報に接し~天気晴朗なれども波高し 皇国の興廃この一戦にあり」と、時の司令官 東郷平八郎の意をうけ名参謀 秋山実之が打った名電文を口にしていた。時は日露戦争の大勝負 日本海海戦 ロシア海軍と日本海軍の一騎打ちのとき。

1993年9月下旬 オーストラリア・アデレード。早朝4時。僕はカンガルー島の撮影のため、夜明けというか深夜のハイウェイをフェリー乗り場に向かっていた。BGM代わりのオーストラリアABC放送のクラッシックを聞いていた。すると突然ニュース速報が入ってきた「ビッグニュースです!!2000年のオリンピックがシドニーに決まりました!」アナウンサーは「勝った!!」という言葉を連発していた。というのも前日のオリンピック決選投票の予想では、競合地北京が圧倒的に有利、新聞でも「あすはフライトセンターで今のうちに北京に行くチケットを予約しておこう」なんていっていた

それが逆転でシドニー!!その時僕の頭の中にも「やった!」ということと同時に「チャンス到来!2000年は決戦だ」という言葉があった。当時まだ僕は全然売れないカメラマン、1カット500円とか1日12時間ぐらい撮影して6000円という撮影料か、雇われているプロダクションとは月給105000円。まわりから「まさか写真展とか写真集なんて考えていないよね、君は無理だから」とか「いい加減にオーストラリアの荒野を撮るのやめなさい、だれも買わないから。それよりアメリカ西海岸かハワイにしなさい」と毎日のように言われていた。当時今よりも写真界は門閥と徒弟制度で固まっていた。僕みたいに師匠なし、有名スタジオ経験なしでは上に行くのは絶望的で、マリアナ海溝の底から、チョモランマに登るくらいの大変さ。写真展の審査はなかなか通らない。四面楚歌の状態。1993年やっと探し当てた白い砂漠の撮影で南オーストラリアに来てアデレードの友人カップルの家に居候していた。撮影地は町から1800キロ。朝夕は撮影できるが、日中は砂が真っ白で陰影ができないのと、熱さで動けないので日陰で本を読んでいた。時間がいくらでもあるので長編を持って行った。それが司馬遼太郎さんの「坂の上の雲」日露戦争の秋山兄弟を中心とした物語。当時ロシア海軍は3セットの艦隊を持っていた、しかも一つはバルチック艦隊と呼ばれる世界最強の艦隊。日本は1セットのみ。1対3でどうやって勝つか、しかも当時の司令長官東郷平八郎は、明治天皇の「どれぐらい勝てる見込みはあるか」との問いに「殲滅してみます」と10対0の勝利を宣言したといわれている。そのあとは非常に論理的に、軍備強化をしている。相手より1発の弾が数倍強力なものの開発、相手の3倍多く弾を打つ練習、命中精度の向上、船の速力UPと艦隊運動の俊足化などなど精神力だけではなく、実務的にきちんとしている(そこらへんが太平洋戦争時とだいぶ違うみたいです)。そして結果はバルチック艦隊に対し10対0の圧勝。

国家の存亡をかけての争いだった。話はそれますが、いま日本は海外との戦争ではないが、震災と原発被害で国家の存亡をかけて一刻を争う事態なのだがあまり政府と政治家は皇国の興廃と思っていないみたいで、国破れても山河ありではなく、国破れたら政治家もいらないということがわからないのかなと考えています。

そしてその時僕が考えたのが2000年シドニーオリンピックが僕にとってはバルチック艦隊が来るようなもの。絶対に多くの写真家が「巨匠XXXが撮る誰も見たことないオーストラリア」「人気写真家が撮る南半球の色」などが多分デパートやギャラリーで目白押しになると思った。そこで2000年まではすべてを犠牲にしてオーストラリアの撮影作品作りに特化しようと。オーストラリア以外の撮影は仕事以外しない。全エネルギーをそこに費やす。オーストラリア撮影に向いた機材を用意する、パノラマカメラや超広角超望遠レンズなどなど、そして充分なフィルム。それだけではなく自分のほかの趣味やプライベートはすべてそのために犠牲にしよう。バイクツーリングもお預け。すべての楽しみは2000年10月以降。お酒も食生活も節約
コネとか根回しではなく、どのオーストラリア人が見ても「こんなオーストラリア見たことがなかった」「まさしくこの空気感、色はオーストラリア」という作品作りに専念した。そして2000年シドニーオリンピックまではほとんどの当たりの作品を出さずに隠し玉で持っていた。おかげで2000年1年間で、富士フォトサロン、ペンタックスフォーラム、全国高島屋、フィナーレはオリンピック開催当日にオーストラリア大使館での写真展&オープニングセレモニー。

あとはブログをご覧の皆様が知っている通り今に至ります。だから「天気晴朗なれども波高し」この1文は僕にとってはとても意味のある1文。おりしもいま日本の作品作りをしている。新たに世界に向けて発信する日本の美。でも国内の撮影と作品作りは、多くライバルひしめく日本国内マーケット、僕にとり再び一見順風満風なようでも何かあるかわからない、だから「天気晴朗なれども波高し」ということになってくる。撮るぞ!!写真の神様おねがいします


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by masabike | 2011-10-05 07:09 | | Comments(6)
Commented by aruphoto at 2011-10-05 09:03
お久しぶりです。
いつも拝見しております。
フェリーで北海道へ渡ったことを懐かしく思い出しました。
津軽海峡の波が僕には辛かったです(汗)

綿密な計画と、それにいたるひたむきな努力があってこそなのですね。
新たな作品を楽しみにしています。
Commented by kumimone at 2011-10-05 23:28 x
今日のお話は色々な内容が含まれていて、上手く言葉に出来ませんが、感動も有り、具体的な金額でプロの大変さがイメージ出来、人の評価があてにならない事が再確認出来、運と戦略の大切さもあらためて分かりました。
また、素敵な写真沢山撮って来て下さい。
Commented by tes_music_system at 2011-10-06 08:25
人生のターニングポイントなんですね!
Commented by masabike at 2011-10-06 12:38
aruphotoさんへ
綿密かどうか??(笑)ただ運が良かっただけです
Commented by masabike at 2011-10-06 12:39
kumimoneさんへ
北海道でシャッターが焼き切れるぐらいとります!撮っています
Commented by masabike at 2011-10-06 12:39
tesさんへ
シドニーオリンピックがなかったらと思うと、ぞっとします
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