祈り

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今日8月9日は言わずと知れた長崎原爆の日。特に今年は特別の意味合いと重さとそして歴史は繰り返すということを考えてしまう。

多くの人が56年前の8月6日と9日多くの方がなくなり、さらに爆心地にいた方々はたぶん何もわからず何も感じる間もなく亡くなってしまった、というか消えてしまったことの悲しみと重さと残酷さを感じる。小学生のころ父の実家徳島に帰る途中、夏休みに広島に立ち寄った。当時、初めてアメリカ政府が原爆の記録映像を日本に公開しそれをテレビで放映した後だった。父が徳島に帰る途中広島の平和資料館を見たいとの希望だったからだ。

 
そこで目にしたものはテレビで見た映像以上の衝撃で、戦慄で、衝撃で恐怖だった。うちの家族と親せきで資料館を見終わったあと会話もなく平和公園をとぼとぼと歩き、献花台にお祈りをして広島を後にした。当時まだ米ソ冷戦まっただ中。資料館の中や帰りの電車の中で、もしまた核戦争が起きて核ミサイルが飛んできたら、自分の両親や友達や周りの人がみんなみんな消えてしまい、自分も死んでしまうのかなと思うと、電車の中で怖くて涙が出てきそうで、またどうやったら助かるのだろうと真剣に考えてしまった。

当時まだ冷戦の上にさらにベトナム戦争もまっただ中。小学校の隣が東京教育大学(現・筑波大)で学園祭の時平和を考えるとかのイベントでビキニ環礁の「第五福竜丸」という映画を上演し
ていた。主演は宇野重吉さんだった。広島の記憶が残っていたところにさらに強烈な体験だった。どうしてこんな危ないものを地球上おいておくのか。子供心にとても疑問だった。自分の家に刃物や危ないものなんか置いておけないのに、もっと危ないものが地球上にある、とても疑問だった。しかも当時のどこかの雑誌に核シェルターありますの広告を見たのがさらにその恐怖を増してくれた


あれから40年、人類は何も変わっていないみたいだ。相変わらず危ないものもたくさんあり、そして時には暴走するし、想定外というとんでもないことも起きる。広島、長崎、そしてビキニの第5福竜丸。さらに今回福島。どうして日本だけが、日本人だけが(もちろんここには日本で被爆された外国人の方も含みますが)これほど核の洗礼を受けなければならないのだろうか?これはあまりにも残酷な地球の与えた試練なのだろうか?

でも過去3回、われわれは残酷で過酷な試練を与えられ、それを世界に訴えてきたが、さらに核は増え、今回の福島の原発災害が起きてしまった。広島の平和記念公園に行くと「過ちはくりかえしません」という碑文がある。ぜひ今一度日本の政治家実業家そしてマスコミのみなさんもこの碑文を読み返していただきたい。そうすれば東海TVやフジTVみたいな常識の欠如は起こりえなかったろうとおもうし、今回の事故もなかったと思う。いつにひか「あやまちはくりかえしません」という言葉が本当だったといえるように

(写真と記事は何ら関係がありません)
by masabike | 2011-08-09 13:41 | Comments(0)
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