多摩ニュータウン

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先日、久しぶりに多摩ニュータウンの駅に降りた。とても懐かしかったのと、とても大変だったことに思い出がよみがえった

実は広告代理店の営業マン時代 1985~1988年 僕は当時の住宅公団の広告担当だった。メインはこの多摩ニュータウン。仕事は新聞やチラシの広告の制作 掲載&配布の手配。モデルルームの設営 案内看板の手配 さらに住宅バス見学会の手配まで何でもやらされた。なんとバス見学会のバスガイドまでしていた(笑)本当です


丁度、85年に新しい部署に異動になり、新しい部長の初仕事が住宅公団のコンペ。ぜったに落とせないコンペだった。それは2つの理由からだ。1つは新しく設立した部で、部長の初仕事なので、手柄を上げさせないと部下の兵隊は大変なことになる。もう1つはこれが一番大切。当時勤めていた、代理店では官公庁に仕事の口座を持っていなかった。大手広告代理店としては、何が何でも官公庁の口座が会社の体面上喉から手が出るほど欲しかった。だからコンペは絶対落とせない。
しかも部長さんが、コンペのプレゼンでのトークが大の苦手。というわけで、コンペのプレゼンのトークに運が強い僕がすべてを任されて、何とかコンペをとり、口座を獲得しました。でもこの時代のプレゼンの経験は、今、フォトグラファーの仕事の上でとても役立っています。クライアントを落とすための、殺し文句を如何に考えるか、この当時からの経験です


じつは代理店の仕事の成果で、大事なことは売り上げもありますが、いかに口座をとるかと、いかに既存のクライアントの扱い口座を、ライバルの代理店からデフェンスするかです。口座を確保すること、これは会社のメインバンクやメディアへの大きな信頼となるからです

ともかくそんなことをして、勝ち取った住宅公団ですが、不動産広告の仕事は地味で、週末は現地販売の立ち合いとお手伝い。駅前でティッシュやチラシをバイトと配ったり、案内看板を持って駐車場に立っていたり、あるいは現地販売センターで、お客様のお子様に、綿あめや風船を作り配ったりと、なんでも屋さんでした。多い年は年の、8割の週末は不動産の販売センターにいました。
 とうじすべてが嫌で嫌で仕方がありませんでしたが、フリーランスのフォトグラファーになり、あの時のことがすべて肥やしになりました。今では昔の会社にとても感謝しています。多摩センターの改札を出たとき、「現地モデルルーム 右」と書いたプラカードを持ち立っている、30年前の自分を見たような錯覚に陥りました

全ては芸の肥やし、会社は大切なことをお金をいただいて教えてくれたとこと、思っています



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by masabike | 2019-04-14 17:54 | 広告仕事 | Comments(0)
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