文京区 播磨坂 懐かしの場所でグルメ

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日曜の昼、家内と買い物がてらに懐かしの場所でランチをしました。その場所は文京区 播磨坂。実はこの坂の上にわが母校の中学 文京区立茗台中学があります。小学校もすぐ近くで、文京区立窪町小学校でした。

中学のころはここを毎日通り、白山の駅まで通っていました。当時は周りは製本屋さんや、印刷関連の会社ばかりでした。学校が終わると、ここをクラスメートたちとふざけあいながら帰りまして、昨日のように思い出されます。
なんで板橋区生まれの人間が、文京区立の学校に?と思い方多いと思います。実はこれは本当の話ですが、生まれた時2000グラムの未熟児。そのあと体が弱く、入院や病院とは縁が切れない生活。しかも肉と魚が嫌いで食べられない。引っ込み思案で、家で絵本を読んだり、絵をかいたりするのが毎日で、外で遊ぶのは危ないからいいです。と!言っていた子供でした

それを改善するために幼稚園の先生と両親が、母の生まれたところがある文京区に籍を写し、越境入学という方法で遠方の学校に通わせ、毎日外で活動的になるように仕向けました。その甲斐あり、小4から肉も魚も食べられるようになり(ただしいまだに、サバ味噌煮 冷やし中華 鶏水炊きはダメです)健康体になり、ご存知のように砂漠まで行っています。

特に播磨坂上にあった、茗台中はかなり不思議な中学で、個性を伸ばす方針で先生も今だったらNGのような個性的な先生が多く、またその当時の友人も個性的な人が多かったです。そういえば今撮らせていただいている、桂一門の桂春雨師匠も、うちの中学のはずです。
昔の播磨坂はおしゃれなカフェなどはありませんでしたが、いまや第2の白金になるのかなという雰囲気です。やはり山点線の内側の一等地ですから・・・


この日はサラダにナスのパスタとトマトのパスタをオーダー。ちなみに料理によって、フィルムシミュレーションを変えています。ナスのパスタとサラダはプロネガS。トマトのパスタはベルヴィアです。トマトの色がヴェルビアでないと出ないです 最後のデザートはスタンダードです

食べている時、誰か昔のクラスメートとかいないかなと探してしまいました 笑



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ご飯を食べて、播磨坂歩いていると、中学生の自分に戻ります。そして少年学成り難しと実感しました。でも人生思い出深いいい中学いい友達のたくさんいた学校でした。もう一度過去に戻れるならば、あの中学時代に戻りたいです





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by masabike | 2018-11-13 14:04 | 美味しい食べ物 | Comments(0)
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