背水の陣

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Nikon F2 photomic +Nikkor20mm+FUJICHROME 64T


今宵も家でサッカー観戦の予定。W杯アジア最終予選前の大事な試合。新人たちはパフォーマンスを見せないと次は招集されない厳しい世界。これはフォトグラファーも同じだ。プロとして生活する、活動するそのために座れる椅子の数は限られている。誰か、新人が新たにその椅子に座れば、誰かが押し出される、悲しく厳しく無慈悲な世界。みんなで仲良く仕事をしようというのはあり得ない。

うえの作品は2004年に西オーストラリア・バングルバングルで撮った作品。何度もブログに出しているおなじみの作品。そして思い出深い作品。この作品を撮った1994年9月、僕はまだハウスフォトグラファー。独立していなかった。社員4人の小さなプロダクションでのやとわれ見習いフォトグラファー。手取りは105,000円。生かさず殺さずていどの収入。その中でやりくりし機材を買い作品を創る。時には夜や休みの日にバイトの撮影もしないと生活は成り立たない。周りももういい加減に、ランドスケープの写真家になるのは諦めろ、フリーランスになるには君の才能と作品では無理だよと言われていた

そのうえ、この年は母が痴呆で、大きな買い物をしてしまい、その借金までできた。四面楚歌。1993年に初のオーストラリアの個展をして、かなり評判がよく(おかげさまでその当時からのお客様も、何名かはいまでもご贔屓にしていただいてうれしい限りです)では次の個展ということで、当時は渋谷にあったドイフォトプラザで1995年に2回目の個展を計画していた。そのために当時まだ見つかったばかりのバングルバングルに撮影に行く予定を立てていた。そんな時に母の借金、そして作品は評価されていない。旅費を払うと、全財産10万円。でも借金もすごい。その時に考えたのが、この旅でたった1枚でよいので、一撃必殺のカットを撮ろう。そしてそれが撮れないか、あるいは2度目の個展で、何も仕事が来なければオーストラリアの撮影作品撮りはやめよう、フリーの写真家になる道から撤退しようと決めていた。

自分の運命と引き換えの1枚を撮る為に、この旅と個展にわずかながらの全財産をなげうった。使用頻度が少ないレンズやカメラは売って、少しでも旅と作品の足しにした。だから1994年のオーストラリアロケ、失敗したらこれで終わりという背水の陣で臨んだ。おかげさまでこの1枚だけだが、その時満足が行く作品が撮れた。そしていまでもこの作品は僕の個展で飾られる。1995年の個展は大成功、写真集のオファーやデパートでの写真展開催の依頼、オーストラリア大使館やカンタス航空のサポートも得ることが出来た。

ただいえることは、これで失敗したら最後かもしれない、その気迫がこの作品に込められていると思う。そしてこめて撮ったつもりだ

最近SNSやコンテストからプロに挑戦する人も多い。そして運よくプロのフォトグラファーになれる人もいる。ここからはとても個人的な、偏った硬い考えかも知れないことをご理解ください。プロと言いながら、副業というか別の本業がありそれで写真を撮りプロですと言われている方もいる。プロで生きていくためには生活は大変で不安定で未来は見えないです。それでも大好きな写真で生きて行こうという気構えと写真バカでないとこの世界は生きていけない。

写真がだめなら本業か、副業で何とかなるさという気持ちは、背水の陣ではない。残念ながらその気迫の足りない分が作品に出てきてしまう。きれいだけど何か足りない。綺麗なだけで写真家の顔が見えてこない、きれいだけどしばらくしたら忘れてしまう、そんな作品だ。アマチュアであれば、趣味の世界、最後は逃げもできる。でも本業としたら逃げは出来ない。その気持ちが最後作品に出てくる。たくさんの物を犠牲に亡くし我慢して、背水の陣を引いた時、きれいなだけではない何かが作品に宿ってくれると思う。もちろん世の中には僕に知らないところで、本業がありながら気迫のある写真を撮る方もいるかもしれない。そういう方がいたら本当に申し訳ない。ただ自分自身の撮り方、写心としては背水の陣を引かないと撮れないと感じる。いつ自分が川に追い落とされるかわからない厳しい世界。とりあえず今朝まで僕はプロの写真家でいられた。明日の朝はどうかな…?、怪談には早いが背筋が凍りつく思いだ。サッカー見ながら、明日のわが身を考えることとする




by masabike | 2016-06-07 19:08 | 写真アート | Comments(0)
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