25年目のオーストラリア

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Nikon F3P  24mm ベルビア50

D800E Nikkor24~70mm

いま闇夜にシドニー行きのカンタス22便が羽ばたくための羽を休めている。空港のラウンジでワインを飲みながら、通関の手続きも終わりホッとして眺めている。25年前、1988年3月16日同じ成田空港で、キャセイパシフィック香港行きの期待を僕は不安100%の心でのどから出そうな心臓を抑えながら眺めていた。だれか「オーストラリアなんかに行かなくていいんだよ」と言ってくれないかと期待しながら。会社を辞めてフリーのカメラマンになる夢を かなえるために選んだ道。でも選んだあととんでもないものを選んでしまったと。しかもオーストラリアをバイクで一周、さらに砂漠の未知のルートを走る。自分で地獄の扉を開けてしまったみたいだった。うちの両親は旅立つ一週間前に「なにか食べたいものはある?」ときくので「死ぬほど寿司が食べたい」と言ったら、毎日近所の二葉鮨の夕ご飯だった。途中で気が付いた「これは最後の晩餐かもしれない」と


成田空港に何人か友人が見送りに来てくれたが、みんな元気でねと言ってくれたが「止めたら」とはだれもアドバイスしてくれなかった。飛行機が滑走路を離れ、まどから九十九里浜が遠ざかる。日本の見納めかなと思い、気が付いたら「さよなら日本」とつぶやいていた。それから三か月、今でも一日たりとも忘れないぐらい、強烈にその時のことはすべて覚えている。見たこと、話したこと、感じたこと、食べたこと、泣いたこと。先日当時の日記を見た。毎日言葉が通じない、トラブルがバーゲンセールのようにたくさんある、もうこんなことやめて誰も見ていないのでオーストラリアを一周したことにして三け月どこかに隠れて日本に帰ろうと書いている。



でも誰にも命令されたわけでもない、ここで辞める理由もない、健康も良い、バイクも好調、もう行くしかない。そんなことを書いていた。でも気が付いたら25年、多くの人に助けてもらいぱなしの25年だった。そしていつの間にかにオーストラリアは第2の故郷になっていた。


そしてこの25年間、多くのことが変わった。昭和から平成へ。父が死に母が死に、そして結婚した。フィルムもコダックから富士フイルムへ、そしてフィルムからデジタルへ。ISO100の世界からISO6400の世界へ。旅に行くのにダークバッグではなく、PCを持っいくようになった。世界のどこからでもクライアントや愛する人に好きな時に電話できるようになった。多くのことが変わりすぎた

この1回だけと行った1988年のオーストラリア。ちょうど25周年の何かイベントをしようと思っていたとき、予想もしないお声がかりが・・。「シベリアに行ってマンモスの撮影をしてくれないか」オーストラリア25周年の記念品はもしかしたら次の扉を開ける写真の神様の声かもしれない。そしてシベリアの次はなんだろう、次の25年そしてその次の25年。あまりに人間の命と力ははかなく短すぎる。あと100年神様時間を下さい。もっと新しい世界、新しい光の作品を撮らしてください。おねがします。これからシドニーまで9時間半、天の高みで写真の神様にお願いをしよう

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by masabike | 2013-04-12 19:10 | | Comments(0)
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